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読書日記(2024年6月)

ようやく新居に本棚が導入された、記念すべき6月。
今まで間に合わせのカラーボックスに居心地悪そうに詰め込まれていた本たちが、杉材の良い香りの中でのびのびとしていてソーキュート。心なしか読書もはかどった。かなり久しぶりに再読するものが多い。
本棚は選ぶのに結構時間がかかったので、またそのあたりも備忘録を書きたいな。


わるい食べもの|千早 茜

3冊揃えているフードエッセイの1冊目を久しぶりに読み返した。
フードエッセイって基本は書かれているものに対しておいしそうとか食べたいとか、そういうプラスの感情を想起させるものが多いし、読む人もそういったものを求めている場合がほとんどだと思う。けれどこの本の中では苦手な食材や、食事に関するあまりよくない思い出も含めて率直に語られていて、それがまた全然いやじゃないのが不思議。牛乳やウニとのエピソードに、ああ、それは確かに苦手になるよなあ……とうなずきながら、かすかな可笑しみを覚える。
以前読んだつまみぐい文学食堂(リンクは当時の読書日記)で似たようなことが書かれていたけれど、おいしくなさそうな食べものの描写はなんだかひどく文学的に見える、と思う。そういえば『生命式』や、『おいしいごはんが食べられますように』もそんな感じ。

猫舌男爵|皆川 博子

こちらも久しぶりの再読。最初に収録されている『水葬楽』を読むとそのあとしばらく、登場人物が要所要所でうたう歌の歌詞を、なにかにつけ頭の中で暗唱するようになってしまう。メロディーも知らないのに、ティル・ラン・リョオ、心臓病。
で、そのすぐ後に幻想文学というよりはむしろアンジャッシュのコントみたいな『猫舌男爵』が入っていて余韻をぶちこわされるところが大好きだ。皆川さんの短編集は、退廃的でこれぞ幻想小説、という風情のお話の中に、どしたん? というくらいふざけてシュールな読み口の話がときどき混ざっていていっそう愉快。ヤン・ジェロムスキ氏とこなるすき先生に幸あれ。

キリン解剖記|郡司 芽久

「未来のかけら」展の物販で衝動買い。キリン豆知識みたいなものがたくさん書いてあるのかな、と思ったら、キリンが好きで好きで仕方ない学生が、ひとりの「キリン研究者」になるまでのドキュメンタリーだった。研究対象ってどうやって決めるの? というところから、研究テーマの見つけ方、そしてそれを探求する過程までがまるごと1冊の本になっている。文系の学部卒にとってはぜんぜん馴染みのない世界を覗き見られるのが嬉しくて、俄然鼻息が荒くなった。
解剖学なんて今まで全く触れてこなかったけれど、なぜそれを研究しようと思ったか、どういうところが面白いか、研究の過程でどんな出来事があったか、というようなことを聞かせてもらううちに――読むというよりは、郡司さんが目の前で、瞳をキラキラさせながら話してくれるのを聞いているような本なのだ――どんどん興味が湧いてきて、読み終わった後つい該当の論文を探してしまった(全文英語だったので諦めた)。
こういうふうに「論文の裏側」を語ってくれるような本、他にもないかなあ。いっぱい読みたい。

ポーの話|いしいしんじ

大阪に戻る新幹線の中で、何年振りかの再読。泥と川と橋と人の話。
何度読んでも主人公のことをなんと表現したらよいか、ぜんぜんわからない。人間のかたちをした混沌であり、辺境のひとであり、境界線に立つ者であり、ひとりの息子であり、最終的には善性の塊のような存在になるのだけれど、そうなった彼は生き物というよりは神とか自然そのものとか、あるいは舞台装置のように見える。なんなんだこれは、と思いながら500ページほどを一気に読んで、長い長い旅路の末に大きな手で掬いあげられその場にぽんと下ろされたような感じがして、呆然としながらも厳粛な気持ちになる。いつも。

ナイルパーチの女子会|柚木 麻子

近頃は「女同士の関係がテーマの小説」といえばシスターフッドもの、という傾向がある気がする。そのせいなのか、女友達をつくれない女たちの傷、ゆがみ、足掻きといったものが濁流のように押し寄せてくる本作を読んだときのダメージが増しているような。甘やかされちゃったねえ。
でも、ダメージを受けながらも読むのを止められない。主人公二人に全く共感できないという人もなかにはいるだろうけれど、私にとっては、自分の暗部を目の前に突き付けられて目を逸らすに逸らせない、という気持ちになるような本。
わりと最近に同じ著者の『BUTTER』も読み返していたのだけれど、この2作はケアするものされるもの(自分で自分をケアすることも含めて)というテーマが共通している。それでいて出てくる女たちの関係性にはあまりに差があって、柚木さん、すごい……と思いながら読んだ。


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