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読書日記(2024年11月)

猫が来たり文フリ京都の準備を進めたりとあわただしかった11月。仕事がとても落ち着いていたので、一気にプライベートの比重が上がった月だった。
猫を迎えるために長めに大阪にいたので、久しぶりに向こうに置いている本をたくさん読んだ。
これを書き終わったら文フリ東京へ向かいます。


香君(1~2)|上橋 菜穂子

いつのまにか文庫化している! と、驚喜しながら購入。
そのしばらく後に仕事の交流会で、びっくりするほど本の趣味が合う人と上橋さんのご本の話で盛り上がり、幸せな気持ちで表紙を開いた。
上橋さんの『獣の奏者』がとてもとても好きなのだけれど、なんだか対になるお話の気がする。あちらは獣のひみつ、こちらは植物のひみつ。
来週最終巻が発売されるようなので、次に大阪に帰ったときにまとめて買って読もう。

雨はコーラがのめない|江國 香織

ついに猫が家にやってきたことで急に読みたくなって、久しぶりに手に取った。愛犬であるアメリカンコッカスパニエルの「雨」との生活と、彼と一緒に聴く音楽のことをつづったエッセイ集だ。
江國さんの聴く音楽は、私にはまったく馴染みのないものばかり。思えば彼女が書評で扱う本もそうで(そもそも触れている数が圧倒的に違うというのはあれど)、なぜこの人の書くものが私はこんなに好きなのか、不思議になってくるくらい。
私は猫と暮らし始めて間もないけれど、「雨」の描写から伝わってくる、ままならない、愛しい、ちいさないきものと暮らす困難さと喜びに、それでも共感できてうれしかった。

すみれの花の砂糖づけ|江國 香織

『雨はコーラがのめない』の中で江國さんの『願い』という詩に触れている箇所があり、どんな詩だっけ、と思って読み返す。
最近は江國さんが恋について書いたものにあまり触れなくなってきていたので、久しぶりに彼女の恋愛観をどっぷりと浴びて少しくらくらした。そうだった、この情熱的で、ハードボイルドで、ややはすっ葉にも見えるのにどこまでもピュアで孤独な感じ。
初めて読んだとき以来、『私はとても身軽です』という詩のなかの、『あとは余生 と おもうので』という一節がなぜか頭から離れず、ときどき口ずさんでしまう。久しぶりに活字の形でそのフレーズに触れて、懐かしい友人に行き当たったような気持になった。

ああ言えばこう食う|阿川 佐和子・壇 ふみ

文フリへの機運を高めるべく、フードエッセイ本をちょこちょこと読んでいる。
こちらは『残るは食欲』シリーズで大好きになった阿川さんと、とてつもなく仲良しの壇ふみさん(『残るは食欲』も、もとは檀ふみさんの言葉らしい)との、往復書簡のようなエッセイ集。長年付き合った女ともだち特有の、容赦ない掛け合いが小気味よかった。お二人でなにかこう、おいしいものを召し上がりながらのトーク番組とかやってくれないかしら。

エドワード・ゴーリーの世界|濱中 利信 編

奈良のゴーリー展に行ってからさらに彼の世界に浸りたくなり、積読のなかから引っ張り出した。いつかどこかの古本市で手に入れたものじゃなかったかな。版が古いらしく、今調べると装丁が少し変わっている様子。
研究者や作家からの寄稿、アメリカでたくさん出ているグッズの紹介(どれもかわいい。欲しい)、日本未発売のものも含めてずらっと並ぶ本の表紙の写真たち……と、盛りだくさんの内容。柴田 元幸さん、江國 香織さんの対談なんかもあって豪華さにくらくらする。図録と一緒にすみずみまで読んで、存分ににやにやした。

オイスター・ボーイの憂鬱な死|ティム・バートン

ペン画で不穏で……というゴーリーの特徴から連想して、これも久しぶりに手に取る。就職して間もないころ森アーツセンターギャラリーでやっていたティム・バートン展を見に行って、そこで衝動買いした本だった気がする。今調べたら2014年だった。10年前……。
オイスター・ボーイとか毒ガス坊やとかブードゥードールとか、そういう異形の子どもたちが思い切りよく悲惨な目に合っていく。幸せそうにしているカットもあるのだけれど、こちらから見るとどこかグロテスクな絵面で。ゴーリーの本も子供がひどい目に合うものが多いけれど、こちらのほうが断然ウェットで悪趣味。でも、それを悪趣味と感じる時点でティム・バートンの罠にはまってしまっている感じ。
読むと決まって暗い気持ちになるのに、なぜか手放せないし、定期的に読み返してしまう。今回もばっちり暗い気持ちになった。


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