![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124559185/rectangle_large_type_2_087bf379ea30ee47fdf688c90c9e932d.jpeg?width=1200)
頑張る方向
「嫌なことをしてなければいい」
インスタでちょこっと書いたことを、もう少し掘り下げてみようかと思います。
「頑張る」には何パターンかあります。
私が今までやってきたのは、誰かに認められるために「頑張る」。
でも、今始めたいのは、自分が行きたい方向を向いた「頑張る」。
BTSのRMが言っていた、
「人生は速度ではなく方向だ」
という言葉が強く心に残ってます。
10代の頃
劣等感の塊だった私は、どうにかして周りの人みんなに好かれたかったし、認められたかった。
(当時は未診断だったけど)おそらくASDの影響で人付き合いがなかなか上手くいかなかったんです。
でも、中学に入る頃、
「周りの人に認められる」
その願いが叶うことになります…
「勉強ができると褒められる」という文化によって。
褒められるのは嬉しかったし、「やっとみんなが私をみてくれるようになった」と思いました。
でもその反面、「私は頭が良いわけじゃないのに」と、その賞賛を否定したくてしかたなかった。
何かを頑張って誰かに認められるって、
「努力」であり、「キツい」ものでなければならないって思ってた。
でも私が得意だった学校の勉強や受験は辛くもなんともなくて、
ただ好きなことを満足行くまでやっていただけ。
私にとって「努力」も「キツい」も存在していなかった。
だからずっと自信がなかったんです。
何も頑張っていないのに褒められて、
すごいね。って一目置かれて…
「違うんだよ」「何も頑張ってないんだよ」って、心の中でずーっと否定してました。
大学を卒業して、同期が当然のように就職していく中、定職に就かずに実家暮らしをする私を、みんながどう思ってるのかすごく怖い。
優等生のままでいたい。
かっこ悪いのが恥ずかしい。
優等生としての価値を失ったら、、、?
※あくまで私の中での感覚だけど、
当時の私は、みんなの輪の中にいる
というよりは、
周りのみんなより上に位置することで、仲間はずれから逃れていた
っていう感じなんです。
![](https://assets.st-note.com/img/1702452289476-y7zvN0829O.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702452305371-1azuiBTOt1.jpg?width=1200)
だから、このステータスを失ってしまえば
蚊帳の外に逆戻りだし、むしろみんなに見下されてしまう。
(揚げ足の取り合いの世界を生きてる感じ)
一通のメール
そんな時に、ある学生の知り合いと連絡をとる機会がありました。
話の中でその子は今、「通信制の学校に通っている」ということがわかりました。
私は特に気に留めず、
「そうなんだね〜」と返しました。
でも、それがその子にとっては意外な反応だったみたいです。
やはり、通信制の学生に対する周りからの反応はあまり良くないみたい…。
なんて返そうか迷いました。
私は、「好きなようにしていいんだよ」
って返信しようとしたけど、思いとどまりました。
少し考えて、
「嫌なことしてなければいいよ」って返信しました。
その子は「確かにね」と返してくれただけだけど、
この自分の言葉が妙に自分に刺さりました。
きっと、この言葉を1番にかけてあげたいのは自分なんだろうなと。
好きなことを見つけるのが難しいのは知ってる。
だけど自分の大事な人が、無理して我慢して嫌なことをしてるのは嫌です。
「誰かの評価なんか」とはまだ言えないけど、
「誰かに認められるために」したくないことを頑張らなくてもいいかもしれない、と思いました。
頑張って仕事をしようとして体を壊さなくても
精神を病むほど無理しなくても
みんなと進む速度が違っても
進める距離が違っても
それより自分の進みたい方向をちゃんとみてあげようと思います。