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春分の日に

書家・表具師・華道家・写真家がひとつの作品を作り上げる「ひとうたの茶席」。私は発起人として、サイトを運営しています。
昨年の春分から始まった2年目の「俳諧・俳句編」が、無事最終回を迎えました。

江戸の粋を表現した、洒脱で遊びごごろのある根本知さんの書、その頃の裂地を用いた岸野田さんによる表具、そして夫である山平敦史は自身の写真を料紙にするという新たな試みに挑戦させていただきました。

はじめの頃こそ逡巡していた夫でしたが、写真が表具となり、さらに平間さんの花とともにもう一度写真作品とするプロセスを経て、作品の可能性が広がる面白さを知ることができたようです。ご提案いただいた根本さんには本当に感謝しています。

展示を行わなかった2年目の最後に、屋内での撮影から離れて大がかりな撮影をしたいと言い出したのは私です。

雪山を表現した作品に合わせ雪の中で、また忙しい平間さんの合間を縫うように設定したその一日が晴れて、撮影が許される場所を見つけられる当てはありませんでしたが、各地の天気を調べ、2月半ば、夫と平間さんとの3人で長野に向かいました。

大町を超えたあたりから雪が地面を覆いはじめ、木の陰が白銀に射し込む光景が広がります。青木湖や白馬の入り口で何度か車を降りて撮影の可能性を探りながら進んだ先のスキー場の近くに、人の来ない公園を見つけました。遠くに今回の作品の料紙とそっくりな山が見え、さえぎるものなく田んぼが広がっています。あの木になら、軸をかけても十分な強度があり、美しく撮影できるのではないかと近づいた木は、春にはその日車に積んできた白木蓮と似た花を咲かせるだろう、こぶしの木でした。

ただそこは、遠くにスキーのジャンプ台が見えることから想像できるように、たえず風が吹き続ける場所でした。体感ではそれほど強く感じられないものの、広げてみると軸は大きく煽られ、破れる危険がありました。もう一度車に乗って1時間ほど他のスポットを探してみましたが、やっぱりここがいい、と戻ってきました。撮影場所としての条件はもちろん、見事な枝ぶりで、遠くからは分からないけれど、びっしりと固いつぼみをつけたこぶしの木であったことも、大きな理由だったと思います。

そのうち風が止むかも知れない、と平間さんが川で拾ってきた氷で花器を作り、皆で凍えながら撮影準備を進めました。しかしその一瞬が訪れないまま陽が傾き、いけた木蓮をそのままに、撮影を中止せざるを得ませんでした。

もう一度来ようと、私からは言い出せないかな、と気持ちがしぼみましたが、「もう一度撮りましょう!」と言ってくれた平間さんの言葉に押され、3月のはじめ、4:00に東京を出て白馬に向かいました。再びの晴天の下、風はぴたりと止み、安曇野から駆け付けた岸野さんのサポートも得て、2年目の最後にふさわしいと思える写真を撮ることができました。

撮影を終えて機材を片付けながら、「この公園の他の木はすべて桜なのに、この一本だけなぜ、こぶしなんだろうね」と話し合いました。よくこれだけ条件の揃ったところに立ってくれていたよね、と。こぶしの植樹を希望した誰かがいたんだろうね。

私はふと、20代はじめの頃の出来事を思い出していました。今日が誕生日だというある人からのメールに、ピンクのガラケーから「では誰も知らない丘の上の白木蓮の木を一本、あなたに差し上げましょう」と返信しました。赤面するほど気障で、自分ではない人の言葉のようですが、そういうことが許される状況であり、そういう人だったのでしょう。実際その方も、とても喜んでくれたのを覚えています。

厳密には木蓮とこぶしの違いはあるのだけれど、この木は、あの時の木ではないだろうか。馬鹿げた夢想ではありますが、そうでないと言い切ることもできないような気がします。

毎日を過ごすうちに、人はいつの間にか種を植えていて、運が良ければふと、目の前の実りと種のつながりを知ることができるのかもしれません。

楽しい思い出とともに作り上げたこの2年の試みとこの一枚が、未来の実りの種となり、いつかそのつながりに気付くことができますように。

2023年春分

欲しい茶室を夢想するスピンオフ企画「夢想庵」も、のんびり進んでいます。