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ソニーで学んだ大事なこと

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海外勤務28年、大事なことはだいたいソニーで学びました。
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【海外赴任】ソニーの海外ベンチャーに参加して、人生で一番働いた話。お前達は、クレイジーだと言われて。

【海外赴任】ソニーの海外ベンチャーに参加して、人生で一番働いた話。お前達は、クレイジーだと言われて。

ソニーに入社して、電子部品の営業を10年行った後に、自分で手を挙げて、子会社のインターネット接続会社So-netの海外展開を行うプロジェクトに参加した。

きっかけは、当時社長の出井さんが、「ITは、隕石がユカタン半島に落ちた衝撃を世界に与える、インターネットに乗り遅れると、ソニーは隕石で滅んだ恐竜のようになる。」と言ったことだ。

会社がインターネット・デジタルの方向に大きく舵を切る中、電子部品

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群れからはぐれるたびに、人生は展開する。反対を押し切ってする異動であれ、休学であれ。

群れからはぐれるたびに、人生は展開する。反対を押し切ってする異動であれ、休学であれ。

20代後半から30代前半にかけて、香港・中国に6年間赴任していた。
仕事は中国の工場にVCDプレイヤー向けの電子部品を販売する仕事だった。
6年の間に、ゼロから数百億円のBizに成長し、私は、南中国の責任者として、深圳事務所の所長をしていた。

そして、出元であった電子部品の営業本部に帰任した。
今度は、IT用CD-ROMやDVD-ROMの光学部品を、台湾や韓国のITメーカーに販売する仕事についた

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【海外赴任】資産3,000億円 オーストラリア大富豪の友人、彼の私生活と生き方から学んだこと

【海外赴任】資産3,000億円 オーストラリア大富豪の友人、彼の私生活と生き方から学んだこと

私は最近までオーストラリアに駐在していたのだが、その時に、大富豪と知り合うことになり、彼の家に招待されて、時々一緒にテニスをする仲になった。
その中で、彼の生き方から私が学んだこと、感じたことを皆さんとシェアしたいと思う。

彼とは、Gerry Harveyという人である。
有名人なので、ググると簡単に情報が出てくる。
彼は、オーストラリアで一番大きな家具屋と家電量販店の創業者/会長である。
TV

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【海外赴任】台湾の大富豪、鼎泰豊のオーナーから学んだ、働く姿勢

【海外赴任】台湾の大富豪、鼎泰豊のオーナーから学んだ、働く姿勢

前回、オーストラリアの資産3,000億円の大富豪の話しを書いた。

- 街から離れた広い家、家庭菜園をして、鶏を飼って、自給自足の朝ご飯
- 車や服装などに、必要以上にお金をかけない
- 84歳の年齢を言い訳にせず、テニスコートをこれから新装する

オーストラリアの大富豪は、お金を沢山持っているからといって、いたずらに贅沢はせず、とても丁寧な生活を送っていること。
そして、高齢にも関わらず、元気い

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【海外赴任】Steve jobsのconnecting dotsを実感した話し

【海外赴任】Steve jobsのconnecting dotsを実感した話し

大学時代にNew York(正確にはお隣の州のNew Jersey)に語学留学をしたり、それに味をしめて、1年間日本の大学を休学してテネシー大学の経済学部に編入したり。
更には、帰国後、日本の大学を卒業する前の4ヶ月ほど、バンコク、インドからヨーロッパまでほぼ陸路で横断したり。(これは当時、沢木耕太郎の「深夜特急」という本に刺激を受けたため)
当時としては、かなり海外にかぶれた学生だった。
学生同

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【海外赴任】中国でどぶ板営業をして、ぬかるんだ道にしゃがんで、トウモロコシをかじった話し。

【海外赴任】中国でどぶ板営業をして、ぬかるんだ道にしゃがんで、トウモロコシをかじった話し。

ソニーに就職して、まだ3年しかたっていない頃、私は中国でとぶ板セールスをしていた。

カセットテープがすごい勢いでCDに代わっていく時代、私は、CDプレーヤーに使うレーザー部品や半導体を中国の工場に販売する仕事をしていた。

当時は、中国市場で外国企業が販売活動をするのが許されたばかりの時代で、本社からみても、中国にどれだけのポテンシャルがあるのかよく分からなかった。
香港販売子会社に赴任した私が

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【海外赴任】偉い人が海外出張にきて、駐在員に魂を吹き込んだ話

【海外赴任】偉い人が海外出張にきて、駐在員に魂を吹き込んだ話

海外勤務では、本社の偉い人と会う機会が多いが、ポジションが高いからといって、この人は凄いと感じることは、実は驚くほど少ない。
でも、稀に、本当に尊敬できると感じられる人がいる。

今日は、その香港赴任時代に経験した、駐在員に魂を吹き込んだ本社の部長の話しを書こうと思う。

先進国に比べると、当時の中国(1993年頃)は、まだ社会システムやインフラが驚くほど貧弱だった。
私達のようなインターナショナ

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【海外赴任】海外で仕事をしていて、本気でビビったこと

【海外赴任】海外で仕事をしていて、本気でビビったこと

誰しも仕事をしている中で、何度かは、ビビる体験をしていると思う。

例えば、怖い上司に大会議で詰め寄られた時、担当する会社で巨額の焦げ付きをだしたとき、何十万円もかけて制作したポスターに、見逃せない誤字を出してしまった時、など。

30数年のサラリーマン生活で、私も数々のビビった経験があるが、入社7年目くらいに、これは死ぬかも、というくらいビビったことがあるので、今日はその事について書いてみようと

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【海外赴任】海外で働いて、うんがついていた話し

【海外赴任】海外で働いて、うんがついていた話し

入社3年目で香港赴任、中国市場担当になった。
仕事は、毎日中国の電機工場を訪問して、CD プレイヤー用のキーデバイスを販売することであった。
当時、先進国ではレコードに代わりCDプレイヤーが急速に普及していた。
順序で行くと、次は中国市場が立ち上がる予定であった。

中国市場黎明期、私は毎日のように、初見の中国電機工場を訪問していた。
しかし、CDプレイヤーが何であるかをまだよく理解していないケー

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【海外赴任】生まれて初めて社員を自分で雇った話し。

【海外赴任】生まれて初めて社員を自分で雇った話し。

中国工場への電子部品の販売は、VCDの出現とともに、明らかにビジネスがtake offするだろうというのが見て取れた。
そして、これまでの代理店の深圳事務所を拠点とする販売から、いよいよ深圳にソニーの部品事務所を開設しようという話しになった。

ソニーは、当時既に北京に中国代表を置いており、AV家電の販売事務所が北京、上海、広州に開設済みであり、私の所属する部品部隊も、上海には事務所を開設済みであ

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【海外赴任】深圳のバブルを目の前で目撃し、つかの間のチャイニーズ・ドリームを楽しませてもらった話し。

【海外赴任】深圳のバブルを目の前で目撃し、つかの間のチャイニーズ・ドリームを楽しませてもらった話し。

香港返還1997年からミレニアム2000年頃にかけて、中国・深圳はかなりのバブル状態であったと思う。
どんどん新しい高層ビルが建ち、街の人口も10年間で数十万人から3百万人にくらいに急増していた。

私は、中国工場にVCD (CDフォーマットで映像がでる規格)プレイヤーを製造するのに必要な、キーデバイス (光学部品と半導体)を販売していた。

1993年香港に赴任し、中国工場を訪問し始めた頃の中国

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【海外赴任】第二外国語への挑戦|中国語編│ 赴任した国が英語圏でない場合、その言語を真剣に勉強するかは、とても大事な判断だ

【海外赴任】第二外国語への挑戦|中国語編│ 赴任した国が英語圏でない場合、その言語を真剣に勉強するかは、とても大事な判断だ

いうまでもないことだが、海外で仕事をしたり、生活をしたりするのに、その国の言語は相当重要だ。

英語圏に赴任した場合は、なにも迷うことはない。
英語のレベルが低かろうが、高かろうが、英語を全力で勉強するのみである。

英語はとても学びがいがのある外国語である。
世界の共通言語であり、映画、音楽、ニュース、世界クラスのスポーツ等、日本にいても英語を活用して最新の情報に触れたり、ワールドクラスのエンタ

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【海外赴任】第三外国語への挑戦 |ベトナム語編|ベトナム語はきつかった、涙目で勉強した

【海外赴任】第三外国語への挑戦 |ベトナム語編|ベトナム語はきつかった、涙目で勉強した

私がベトナムに赴任したのは40台半ばの頃。
ベトナム子会社の社長というポジションでの赴任だった。
ベトナム語はそれまで全く触れたことがなかった。
(ホーチミンとサイゴンが同じ街の名前だとも知らなかった。。。)

既に自分のキャリアの中で、英語と中国語がビジネス用途ではネイティブレベルになっていたので、ベトナム語への挑戦は第三外国語としてであった。

海外営業のプロとして、現地のお客様と簡単な挨拶会

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