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【日記】自分らしさを最も表すもの

「あなたらしさを最も表すものはなんですか?」就活をしているとよく出くわす質問だ。周りを見ていると、野球部だった人はボールを出したり、音楽が得意な人で楽器を持参する人もいた。華やかなものがたくさんあげられる中で、自分にとってのそれはどこか地味な「日記」だった。


日記との出会い

私が日記をつけるようになったのは大学受験の時だ。大学受験から約5年間、ほぼ毎日欠かさずに書いている。5年と聞くと我ながらすごいなと思うが、自分としては全く頑張っている感じはない。ただ自分にとってその時間が必要だから、やらないと生きていけないからという感覚で、それは個人的には食事や排泄と同じだ。

初めはただのタスク管理だった。大学受験時、自分は国立大学を志望していたのもあって、やらなきゃいけないことが多かった。限られた時間の中で、バランスよく多科目を網羅的に勉強しなきゃいけない。そんな中で毎日のタスクの管理と把握は必要不可欠だった。勉強のやる気が出ない時っていうのは、大概自分が今何をするべきなのかが分かっていない時だと思っている。試験の日があって、それまでの時間を計算した時に自分がどれだけのタスクをその期間でこなさなければいけないのが分かれば、焦燥感からやらなくてはいけないと思い、なるべく早く行動に移すことができるだろう。それに、何から手をつけたらいいのか分からないと勉強の始めようがない。自分が今やっている勉強が果たして意味があるのか分からない状態の勉強もあまり身が入らない。

要するに、自分にどれだけの時間とタスクがあって、そこから逆算して今日するべきことを明確にできた時やる気は生まれるし、勉強に自然と取り組むことができる。目標と自分の距離、現在の自分の立ち位置を知るところから、自分の行動指標が明確になり、そこからやる気は生まれるものだと思う。そしてそれは勉強に限った話ではない。やる気とは、なにかこう自分の感情やメンタルの状態で瞬間的に生まれるものではなく、目標から逆算し“分からない”を可視化することによって生まれる確実なものだと思っている。

こんな考えの元、受験期は毎日TO DOリストを作って勉強していた。そのリストの横に軽いメモを書き始めたのが日記の始まりである。受験はメンタルの勝負でもある。模試の結果が悪かったり、ライバルに負けたり、何度解いても分からなかったり。そのあ感情のぶつけ先として日記を書くようになった。頭でグルグル考えているよりも、紙に全部吐き出してしまう方が個人的には楽だった。日記でネガティブなことを書いていたからこそ、現実ではポジティブに、安定したメンタルで頑張れていたのだと思う。


自己分析の場としての日記

日記でメンタルが安定した理由はもう一つある。それは、日記のなかで自分の分析を行なっていたからだ。私の日記は、今日食べたご飯の記録や起こった出来事の羅列ではない。落ち込んだこと、悔しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、そんな感情ベースの記録から始まり、なぜ悔しかったのか、なぜ嬉しかったのか、そこを分析する。そしてそこから明日からの人生の指標を決めるといった主旨だった。

例えば、模試の結果で落ち込んだ日。まず、なぜ落ち込んだのかを分析する。それは夏休み一生懸命頑張ったのに結果が出なかったからとか、ライバルに負けたからとかそういう原因が挙げられた。そしたら、次に自分がどうしたいのかを考える。やっぱり次の模試では結果を残したいし、ライバルに勝ちたいと思うだろう。では、そのために何をすべきなのかを決める。今回の模試でダメだったところ、勉強方法や生活の改善の余地がどこにあるのかを考える。これを元に、明日から自分が何をすべきなのかを自分で理解する。こんなプロセスを日記の中で踏んでいることが多い。

悩み事って非常に贅沢なものだと思う。そこに自分がより魅力的になるためのヒントが隠れているからだ。勉強ができなくて悩んでいる、じゃそれをクリアすればもっと魅力的な自分になれると自分が確信している証拠だ。あれがやりたい、ああいう風になりたい、そんな欲があるからこそ悩み事って生まれるんだと思う。Mrs. GREEN APPLEのANTENNAに「愛してるよホープレス」という歌詞があるが、まさにこれだと思う。ホープレスから人間の活力って生まれるし、満ちたらないからこそ、成長し続けられるんだと思う。だからこそ、その悩みを無駄にしてはいけないと思う。悩み事に対して、ただ嫌だな〜とそれを受容するだけではなくて、むしろそのマイナスな感情を利用してやろうと、そこにある自分の欲と向き合うきっかけにしてやろうと。悩むことはマイナスなものではなく、実はかなりポジティブなものなんだと、最近になってようやく分かってきた。自分にとって日記は、そんな自分の悩みと向き合う場所だ。悩みに限らず、自分の感情は自己理解のヒントだ。そんな感情と向き合う場所としての日記に自分は魅力を感じている。

日記にある自分の真面目さ

そんな日記が表す私らしさとはなんだろうか。それは「真面目さ」だ。自分で自分のことを真面目だと思ったことはないが、小学生から大学生になる今までずっと言われ続けてきたことであるし、そこまで言われると自分自身でもそれが長所なのかと少し思うところはある。5年間日記をつけていますと聞いたら、そりゃ確かに真面目だという印象を持たれてもしかたがない。個人的には、その自分の「真面目さ」が短所であると感じる瞬間も多いが、まぁ良い意味でも悪い意味でも自分らしさなんだろう。

日記が表す真面目さとは、「コツコツ」と「内省」だろう。まず、毎日コツコツと日記を書くという行為をしていることが世間一般から見て真面目と評価されるのは分かる。またその日記を通して内省をしている姿勢も真面目要素の一つだろう。前述したが、自分の日記の内容は、常に自分が次に何をするべきなのかを明確にするためのものだ。常により高きものを目指す姿勢的なものは、真面目だと評価し得ると自分でも思うところはある。


“自分の”真面目さ

そんな真面目さ、特に自分の成長に関して貪欲であるが故の真面目さこそ自分らしさだと就活をしている中で思えてきた。この人生、常により良い自分になることにワクワクして生きてきた。ダンスでできないステップがあったらそれができるまで練習した。テニス部で1番手になるために、部外でも必死に練習した。自身の発声障害を克服するために、ボイストレーニングに打ち込んで、アイドル活動までした。自分の人生には、常になりたいものや目標があって、そのための努力を惜しまなかったと今は思う。自分はかなりの負けず嫌いで、これまで願ったことの多くを粘りの強さで叶えてきたという自負がある(生意気) 目標に向かってコツコツと頑張れるそれが私の「真面目さ」なんだろうか。

そして話は戻るが、そんな私の「真面目さ」の隣にいたのが日記である。日記の中で、常に自分の目標とそのための指標を明確にすることを行ってきて、そしてそれを絶えずアップデートし続けることによって強いモチベーションを持ってワクワク生きてこれた。目標やなりたい姿を日記の中で明確にするからこそ、そこに向かって活力を持って生きてこれたのだと思う。自分の向上心、そしてそこから生まれる真面目さこそ私らしさであり、それを日記が象徴しているのではないか。


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