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他者理解一考
先月のこの記事の続きとして、他者理解についてもう少し考えたことを書いていく。
「読む・書く・聞く・話す」いずれの行為も、相手意識を持つこと(を子供に教える)が大事であるという話が本の中で展開されていた。例えば何か文章を読む際に、著者はその言葉で何を伝えたかったのかを意識した方が良く、自分が文章を書く際にはそれを読む人がいるということを意識した方が良い。挨拶は、挨拶した相手をちゃんと意識している(「背景化」していない)ということを伝えるという行為でもある。
アナログな時代は、上に挙げたうち2つの「聞く・話す」という行為は相手がその場にいてこそ成立するものだったが、ここ1世紀でその場にいなくても「聞く・話す」が成立するようになった。コミュニケーションの方法が時代が進むにつれ、多様になっていったのである。前回の記事にも書いたが、面と向かって話す際は相手の発話以外にも情報がこちらに入ってくる。だから言ってしまえば相手意識を持てもクソもない。相手を意識せざるを得ない状況だからである。子供ではないのだけれど、それでも相手が意識できないという人がもしいたとしたら、僕はその人がどうすればできるようになるかわからない。強いて言うなら、「相手の話していることを聞こう」「自分の話を聞いてもらおう」という相手やその場へのリスペクトを持てばいいのではないだろうか。とにかく、画面越しに話す・聞くよりも、相手意識というのは確固としてあるといえる。時代が進みコミュニケーションの手段が様々になったことで、取る手段によって得られる相手の情報量・情報の質がさらに変わってくるようになった。我々はそんな時代にどのようにして他者理解をするべきなのだろうか。理解なんて端から諦めるべきなのだろうか。
他者理解とは、自己理解に繋がっていくものだと思う。例えば他人の持っている特徴の中で特に気になるところというのは、自分と比較して異なる部分であることが多い。他者と自分を比較することによって、優越感や劣等感を抱いてしまうことも時にはあるかもしれない。自己との比較対象としての他者が、そこには存在しているのである。僕の場合、Twitter(現X)を毎日見ていると、自分より物理や数学のできる人間に山ほど出くわしたり、偉そうな大学の先生が、議論(レスバ)をして大人げない対応を見せているのをしょっちゅう見かける。ツイートだけしか見ていない状態で、いざ実際に会ってみると、良くも悪くも随分違う印象を受けることがこれまでに何度もあった。なんか良い人だなとか、感じ悪い人だなとか思っていても、実際に会ってみないとどういう人なのか分からないのである。理解した気になっている自分がいたことに、そこで気づく。この場合、ツイートで見た他者と実際に会った他者、どっちが本当の他者なのだろうか?僕はどちらも本当の他者で、違う一面を見ているに過ぎないのだと思う。ツイートも実際の振る舞いも含めて一人の他者なのである。違う一面どうしが矛盾していることも人間だから当然ある。こういう矛盾した態度を取られたりすると、他者理解し損ねて、あの人の言っていることややっていることが理解できないとかそういう感じになってくる。彼はそういう人間だから、といって分かった気になっても、それは分かったのではなく認めただけであって、他者理解したとは言えないだろう。
では、他者理解はすることができないものと割り切って、諦めてしまうのが良いだろうか。僕はそうは思わない。そもそも人間という必ずしも全ての要素が理屈ではないものを理解のしようはない。だからといって、他者理解をあきらめてしまうと、相手意識も持てなくなる。そうなるとずっと孤独のまま、誰にも理解されず、誰の事も理解できず、成長することができない。成長するのが必ずしも良いことか、というとまたそれも考えなくてはならないが、ここではひとまず考えない。("ゴールドタイガー"みたいなことを書いてしまったが)まとめると、他者理解しようとする態度を持ち続けることが理解を進め、やがて理想的な他者理解に漸近していくのである、ということが言いたかった。
さいごに
内容そのもののまとめはありませんが、ここまで文章を書いていて、
・他者という言葉の濫用(ちょっとした意味の違いがあったりするのに使い分けていない)
・断言するのか推量するのかの基準が自分の中で曖昧
など、自分でもこの文章は少し読みにくいだろうな、と書いていて思いました(意外と自分以外が読むとそうでもないのでしょうか)。まだまだ文章を書くのが下手くそだなと思います。せめて、丁寧に見直して書き直していけばいいものを、面倒くさがって直す気にもなりませんでした…ここまで書いておきながら、相手意識が足りていないようです。