自分が苦しむ映画を再生するのはやめようぜ──『青空としてのわたし』書評
最近読んでよかった本を紹介したい。それは、山下良道さんというお坊さんが書いた『青空としてのわたし』という本だ。
この本に出てくる、「考えごとをしているということは、頭のなかでいろいろな『映画』が展開しているようなもの」という考え方のフレームが、私にはとても救いになったのだ。
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私には先日、イライラざわざわしてしまう出来事があった。その出来事が起きてしばらくしてからも、何度もその出来事を思い出しては、イライラむしゃくしゃしていた。
でもそうしてイライラしているとき、「あっ、今自分は、頭のなかで映画を再生しているぞ」と気がつくことによって、その出来事について考えるのをやめ、平穏な気持ちを取り戻すことができるようになったのである。
そう、私は嫌な出来事に、自らすすんで囚われにいっていたのだ。
でも一度「考えごとは映画」だというフレームが頭に組み込まれると、自分が考えごとをしているときに「これは映画だ!」と、そのことに気づくことができる。気づくことさえできれば、その映画を止めることができるようになる。なぜなら、その映画を上映しているのは他でもない自分自身だからだ。
さらに良道さんは、映画を止めるコツを「身体の感覚を感じること」だと語る。
これは映画だと気づいてもなお、どうしても映画の再生が止まらない──私にもそんなときがあった。そんなときは、自分の呼吸に集中してみる。今、息を吸っているな…肺が膨らんでいるな…そして吐く…肺がしぼんでいく……。そうやって呼吸を観察していると、自然と映画の再生が止まる。まあこれが、いわゆる瞑想というやつなのだけど。
「考えごとは、映画である」。良いことでも悪いことでも、過去の思い出や記憶に浸りがちな私にとっては、このフレームワークを手に入れることができたのは、本当に大きなことだった。過去を生きて一喜一憂するのではなく、現在に生きて平穏をかんじる。そんな在り方を、体現しやすくなったからだ。
皆さんもぜひ、「考えごとは、映画である」というフレームを頭に入れてみてください。自分が一日のうちに、どれだけ多くの映画を再生しているか。意識してみると、アッとおどろくと思いますよ。