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短編文学的エッセイ 【スナップ・ショット】

 人生とは、無数の偶然が積み重なる網のようなものだ。
人は一生のうちに約3万人と出会うと言われている。70億人の中でわずか0.000004%。
その確率を前にすると、出会いそのものがある種の奇跡であり、感謝せずにはいられない。

たとえば、地下鉄のエスカレーターですれ違う人々。日常的な光景に過ぎないが、その出会いの背後には、途方もない偶然が隠れている。何も意識せずに通り過ぎるけれど、もしももう一歩早かったら、もしももう1本遅い電車に乗っていたら、と考えると、出会いの背後に広がる可能性の多さに驚かされる。
そんなようなことを、過去に誰かの本で読んだことを思い出す。

ある日、職場の顔見知りの女性がメイクを直しているところに偶然居合わせた。
彼女と目が合った瞬間、思わずお互いに笑みを交わした。その瞬間、心の中に親しみがふっと湧いてきて、少し温かくなった気がした。こうした小さな出会いの瞬間に、ふと気づかされることがある。それは、人との出会いがほんの偶然の産物だという事実だ。
そして、その気づきが生きることに対する視点を少しだけ変えてくれる。同じ毎日は存在せず、一瞬一瞬が本当に未知で、予測できないものだと改めて感じさせてくれるのだ。

俵 万智の短歌に「上り下りのエスカレーター、すれ違う一瞬、君に会えてよかった」という一節がある。
たった一瞬のすれ違いでも、人はそこに特別な感情を見出すことができる。その瞬間が再び訪れることはないと分かっているからこそ、わずかな出会いが大きな意味を持つ。人々の存在がどれほど重いのかを感じ、感謝する瞬間がある。

しかし、日常の中でその感覚を常に保つのは難しい。
感謝とは自然に湧いてくるものではなく、意識的に築くもので、放っておいては薄れてしまう。たとえば、コンビニの店員に「ありがとう」と言うことがある。最初は形式的な挨拶かもしれないが、ある日突然、その言葉が心の底から自然に出てくることがある。
そんな些細なことが、感謝という感覚を育むと思う。

感謝の反対は「当たり前」だと思う。
帰る場所があること、誰かが温かいご飯を用意してくれること、電車が時間通りに運行すること。これらは、日々の中では当たり前に感じるかもしれないが、実はそこに感謝の対象が潜んでいる。僕は最近、夏から秋に移り変わる季節の香りや気温を感じるたびに、感謝の念が芽生える。

日常の「当たり前」を少しだけ特別に見つめ直すことで、世界は少し柔らかく、豊かに感じられる。そんなふうに、いつもの風景が少し違って見えることが、僕にとっての奇跡なのかもしれない。


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