私はあなたの透明人間になりたい
意見交流や議論の場では、どうしてあんなにも容易く、多数派にとって都合の悪い意見の存在は消されてしまうのだろうか。
多様さを求めるくせに、一つの答えを出したがるのはなぜだろう。
私は都合のいい透明人間だ。
あなたの都合の悪い時には無視され、なかったものとして扱われる。
そのくせして、あなたが批評の対象として何かを持ち出す時には、多数派VS少数派の構図は分かりやすいから、私は批判の的になるために姿を見せる。
もういっそのこと透明人間ならば、あなたにとっての私はずっと透明人間であればいいのに、と思う。中途半端に色がつくことがあるから、傷つくし苦しい。
この世界が私ひとりならよかったのになんて思うけど、ひとりならこんな気持ちになれないし、でもやっぱりひとりだったらよかったのにな。
正解があるならば、できるだけ早めに教えて欲しいです。
私の頭に、不正解の答えが浮かぶ前に。