痛みの震源地が分からない
おなかが痛い。朝からずっと。
おなかが痛い時、どこが痛いのか分からない。
おなかが痛いことと、どういう風に痛いのかは分かる。ぐるぐる、ちくちく、どーんどーん。ありったけのオノマトペを駆使して、だいたいのニュアンスは把握することができる。
明確に理由(たとえば食べすぎとか通りすがりの人にパンチされたとか)があれば、胃が痛いのだなとか、脇腹をやられたぜとか分かる。
怪我の痛みは目に見えるし、筋肉痛の痛みもふくらはぎ、二の腕などと、どこが痛いの?と聞かれると指をさすことができる自信がある。
けれど腹痛というものは、たいてい訳も分からず急に私を襲ってくるものであり、痛い場所が分からない。
おなかが痛い時、ぼやっとした痛みに覆われているような気持ちになる。本当はピンポイントで悲鳴を上げているところがあるのかもしれないが、「いた~い」というモヤモヤが、おなか全体にフワッとかかっているようである。
そのため、「多分ここら辺が痛いけど、いや、こっちかもしれないな」となってしまい、「ここが痛い!」と震源地を特定することができない。痛みのモヤモヤの発生源はここですよとピカピカ光るアラーム的なものがあればいいのにと思う。
波のある腹痛はもっと厄介だ。
ぐわーんぐわーんときて、消えたと思うと、またぐぅぅーんとくる。大きな波がくるたびに、痛い場所が変化しているように思えてきてしまう。さっき痛かったところは次の痛みのせいで忘れ去られ、埋もれていく。
サーカス団的なものが、おなかをあっちこっちへと行ったり来たりしながら興行し、どっかんどっかんと大いに盛り上がりをみせている。ひとつの場所に留まるのでなく、巡っていくのである。
自分の身体であるにも関わらず、私の把握しきれないところで勝手に痛みが何か悪さをしているような感覚が、本当に気持ち悪い。
おなかの地図みたいなものがあって、今痛みはここの通りを通っている、ここで休憩している、などと見ることができればいいのにと思う。
説明できない何かに自分の身体を支配され、圧倒的に自分よりも強い立場に立たれてしまう。私がそれに反抗する術は、もはや薬しかないというのは不公平だ。かといって、薬を飲もうとも理由が分からない腹痛においては、何を服用すればよいのか。
おなかのどこかが痛いあなたへ、というようなことがパッケージに書かれている薬があれば買うだろう。ちょっと非合法な匂いもするけれど、頼ってしまうかもしれない。