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生きていれば誰もが遭遇する、心の揺れとの向き合い方を描いた『町なか番外地』小野寺史宜 著

何かうまくいかないことや想定外のことがおきると、情けないが「この場から離れたい」と思ってしまう。目の前の問題から逃げたいわけではない。いったん問題から離れ、気持ちを落ち着かせたいのだ。想定外の出来事に揺さぶられた心が穏やかさを取り戻し、少しでも冷静に判断できるようなってから、原因と向き合いたい。そう思ってしまうほど、心の揺れは向き合うために気力と体力が必要だと感じる。

そんな厄介な存在と向き合う人に、寄り添い背中を押してくれる一冊が、小野寺史宜 氏の『町なか番外地』(ポプラ社)である。

本書は、江戸川の近くにある小さなアパート「ベルジュ江戸川」に暮らす4人が、それぞれの心の揺れに向き合う様子を描いた短編集である。

主人公たちは、恋愛や人間関係、友人の死、退職と、さまざまな理由が原因で心が揺らいでいく。そして、それぞれの悩み自体は異なるが、作中には共通のキーワードが存在する。それが、表題にもなっている「番外地」だ。「無番地」と呼ばれることもある。これらの言葉は通常、土地公簿で番地の付いていない土地をさすが、作中では”ある状態や心情”を例える言葉として登場する。

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本書を読み、筆者がとくに印象に残っている作品がふたつある。そのうちのひとつが、会社や家族との関係性にスポットを当てた「JR四ツ谷駅 ベルジュ江戸川一〇二号室 片山達児」の話だ。今の時代、部下や上司、またはパートナーや子どもとの距離感に悩む人は多い。主人公である片山も例外ではない。

作中で片山は、利用しているJR四ツ谷駅が無番地であることから、そこを「空白地帯」に例え、自分と家族の関係性に重ねている。

もしかするとおれは、同じ空間にただいる人、になっているかもしれない。

『町なか番外地』本文p,96引用

よかれと思い言わなくてもいいことまで言葉にしてしまう性格、しかし肝心な時に言わなければならない言葉は口にしない。この性格のせいで、職場や家族との関係をこじらせている。筆者も本書を読み進めるなかで、「そ、それは言わないほうが……」や「気持ちは分からなくもないが、言ってしまうのか」などと何度も思った。

そんな片山の身に、変わるきっかけとなるある出来事がおきる。片山にとってはだいぶ衝撃的なうえに痛みも伴うが、得られるものは大きい。他者からの助言にまったく聞く耳をもたなかった彼の身に、一体何がおきたのか。そして、どのように変わってゆくのか注目してもらいたい。変化の過程でおこる出来事や他者から受け取る言葉は、もしかすると、あなたの心にもチクリと刺さるかもしれない。だが、誰かと関係を築くうえで大切なことを思い出させてくれるだろう。

そして、もうひとつの作品が「東京高速道路 ベルジュ江戸川二〇二号室 青井千草」の話だ。主人公である青井のもとに、学生時代にバイト先が同じであった旧友から一通のメールが届く。内容は、同じく旧友でありバイト先の社員であった藤本琴奈、通称「琴ちゃん」が、五年前に亡くなっていたというもの。

旧友の訃報に動揺を隠せない青井であったが、次第に落ち着きを取り戻し、琴ちゃんとの思い出を振り返り始める。そのひとつが、銀座インズの案内図が設置された柱の前での会話だ。

「やっと銀座で働けたと思ったら、正式には銀座じゃなかった。銀座西って、何?」

『町なか番外地』本文p.147引用

このセリフに対して、「何かわたしっぽい」と笑う琴ちゃん。その流れで彼女は、とある言葉も零している。この言葉の意味を彼女の死後知ることになるなんて、当時の青井は思ってもいなかっただろう。筆者はその意味を知った時、悲しみだけでなく怒りも覚えた。

そして、彼女の死の理由に対する反応は、読み手によって分かれるのではないかと感じている。恐らく、彼女と彼の関係を許せるか否かで、受け取り方も多少変わってくるだろう。琴ちゃんの死に青井がどのように向き合い、あの日、琴ちゃんは何を伝えたかったのか。時を経て行なわれた答え合わせの結末を、あなたにも見届けてほしい。

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そのほかにも本書には、妙見島や河原番外地が登場する物語が収録されている。どちらも、恋愛や仕事が軸となる物語だ。筆者は、悩みながらも前に進もうとする彼(彼女)の姿に、勇気をもらい心が軽くなるのを感じた。

生きていると、必ずどこかで心が揺らぐ出来事に遭遇する。それが原因で思い詰めたり焦ったりした時、周りが見えなくなることもあるだろう。『町なか番外地』は、そういった場面に遭遇した時に、どうしても狭くなってしまう視野を広げ、そっと背中を押してくれる一冊だ。



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