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CO2上司と現代社会

 さて、突然ですが皆さんに質問です。
皆さんが所属するコミュニティに、仕事ができるけど評判が悪い上司(先輩)はいるでしょうか。

仕事ができるけど評判が悪い上司

 私の上司は、まさに教室内のボスとでもいうべき立場に君臨し、塾内の全てを統括しているといっても過言ではありません。仕事のパフォーマンスにおいて、彼女に匹敵する者はいないというのが私たち講師の共通認識となっています。しかしながら、自分の思い通りに行動しない他講師への対応に問題があるということが長年問題視されてきました。例えば、露骨な悪口や陰口、冷淡な対応、八つ当たりなど、こうした上司の行動がきっかけで退職者が増加したことは事実です。しかしながら、その上司がいなければ教室が回らない、これもまた事実であったのです。このように、パフォーマンスは高いものの大きな負の外部性をもたらしてしまうという点においては、現代社会で問題視されている「あれ」と似ているような気がします。

脱炭素社会

「あれ」とは化石燃料のことです。「脱炭素社会」という言葉もよく耳にする様になりました。昨年、イギリスのグラスゴーで開かれたCOP26もニュースで多く取り上げられてきました。石油、石炭、天然ガスといった化石燃料は、輸送、貯蔵が容易でエネルギー効率が高いことから、長い間エネルギー資源として世界中で使用されてきました。しかし、そうした高いパフォーマンスを発揮する一方で、二酸化炭素をはじめとした温室効果ガスを排出し、地球温暖化を助長するという負の外部性をもたらします。そうした現状を踏まえ、多くの先進国では「脱炭素」が推進されています。例えば、自動車市場においても電気を動力源とした電気自動車が普及し始めています。しかし発展途上国では、未だに化石燃料に頼らなければならないという国もあります。例えば、日本やアメリカが2050年度までの脱炭素達成に合意する一方で、インドは目標達成を2070年としており、各国の足並みはそろっていない状態です。

私の職場は発展途上国?

 私たちの職場は、ある意味でインドと同じ状況下にあるのかもしれません。環境破壊に繋がってしまうと分かっていても石炭火力に頼らざるをえないように、私たちの塾では、たとえどんなに評判が悪くてもその上司に頼らざる負えないという現状があります。私の上司は、ここ最近、諸事情で出勤していませんでした。彼女が久しぶりに出勤してきた際、リーダー講師の一人は彼女の帰還を心から喜び安心していた様子でした。そして、上司が不在だった際の部下の恨みつらみを際限なく語り始めます。そんなリーダー講師に対し、上司は「もう私が来たから安心して」と一言。この一連のやり取りを横目で見ていた私は、自分が働く職場の持続可能性の欠如に落胆しました。もちろん、仕事を進めるうえで上司はとても頼りになります。しかしながら、そんな上司がいなくても問題なく教室を回せるキャパシティーを備えていなければ、上司の独裁体制が揺らぐことはありません。私たちがいつまでも上司に頼れば頼るほど、上司の発言権は増していき、他の従業員はより不利な立場に立たされるといった、負の外部性が拡大していきます。

CO2上司

 以上のような類似性から「仕事はできるけど評判が悪い上司」のことを「CO2上司」と定義したいと思います。それでは、こうしたCO2上司がいる職場において、私たちはどのように働いていけば良いのでしょうか。

再生可能人材

 脱炭素を推進するために、各国では再生可能エネルギーの導入が進んでいます。風力、太陽光、地熱、バイオマスなどを利用した、化石燃料に頼らいない新たなエネルギー源の供給方法が模索されています。これと同様に、現代社会に生きる私たちは、CO2上司に頼らない「再生可能人材」になることが必要だと考えます。個の力では上司に叶わなくても、連帯してアイデアを募ることで、業務効率化の新たなソリューションが生まれることもあると思います。また、総合力では上司に太刀打ちできなくても、ある特定の分野で活躍できる可能性を秘めた従業員もいることでしょう。例えば、個別指導塾で働く私は、なるべく他講師の意見に耳を傾けることを意識して連帯感を高め、教室運営という場では上司に叶わないため、授業における解説のクオリティという面で他者に引けを取らない講師になることを目指してきました。しかしながら、依然として教室全体の持続可能性は低水準のままであるのが現状です。ですが、「脱CO2上司」を掲げてこれからも「再生可能人材」として活躍していきたいと思います。CO2上司が身近にいる方は、ぜひあなたのコミュニティの持続可能性について、今一度考えてみてください。

 

 


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