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皆既月蝕。血走った満月を笑いとばそう。

月蝕は、月が地球の影に入って暗くなる現象。皆既月蝕は、月全体が隠される場合をさし、大気による光の屈折・散乱によって、皆既月蝕中の月面は赤黒くみえる。

いまは”月食”と表記されることが多いけれど、ちょっと前までは”月蝕”が多かったように思う。少なくとも、昔わたしが読んでいた天文雑誌ではそうなっていた。

これは私見だけど、月”食”では健全すぎる。”蝕む(むしば-む)”の字にある異常性、もっといえば猟奇性こそ、この天文現象の非日常性をあらわすのにふさわしいと思う。だから、ここでは”月蝕”と書く。

・・・のっけから脱線してしまった。

水曜の夜の皆既月蝕。天候がよければ全国で観られるということだった。この天文ショーは、ニュース番組で報道され、それなりに注目されていた。

さらに今回は、一年間でもっとも月が大きく見えるスーパームーンだという。スーパームーンという語は、最近よく耳にするようになった。地球と月の距離のわずかな違いで、見える月の大きさがかわる。天体が楕円軌道をとるケプラーの第一法則を思い出す。

「スーパームーンの皆既月蝕」の報道にくわえて、わたしがしつこく話していたせいで、うちの子供たちにはこの皆既月蝕を期待させてしまった。ところが関東地方一帯は曇り空。満足に皆既月蝕を観ることは、かなわなかった。

見出し画像は、部分月蝕状態になったときの満月。隣家の屋根ごしにぼんやりとみえた。天候がこの有り様だったから、じつにつまらない。しかしながら、さすがは令和時代。NHKがライブ映像をネット配信してくれていたので、そのライブ配信を観ることにした。以下は、そのスクリーンショット。

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小笠原と仙台からの映像を、適宜きりかえての配信。どちらもそれほど赤くはなさそうだったけど、かなり暗そうではあった。赤さ、暗さは大気中の塵によって変わる。黄砂の多い季節の、都市部の日没直後の皆既月蝕がどう見えるのか。仕方のないことではあるけれど、直接確認できなかったのがやっぱり口惜しい。

太陽の周りを地球がまわり、地球の周りを月がまわる。太陽が照らす地球の反対側にできる影。その影のなかに月がすべりこむ。その位置関係と動きが、刻一刻と、まるで精巧な機械仕掛けのように計算どおりに動いてゆく。しかも、わたしたちが暮らす地上をとりまく大気によって、みえる色が変わる。

その様子を想像すると、自分が、とんでもなく壮大で大掛かりな秩序のなかの、とてもちっぽけな存在であるような気がしてくる。天文学の知識で、理解したつもりになっていた宇宙のからくり。その宇宙と世界の壮大さを、感覚として実感できるのが皆既月蝕だ。

なんと特別で素敵な現象だろう。

実は、名古屋に住んでいた2007年に、赤い皆既月蝕の月を描いた(この投稿では月”食”になっている・・・苦笑)。このときの皆既月蝕は、かなり赤く見えた。十円玉というとなんだか安っぽいけど、そんな感じ。あ、銅メダルとでも言ったほうがかっこいいか。

月は、古今東西さまざまな形で文学や音楽に登場している。もちろん絵画にも。人類にとって身近な天体のせいか、ほんとうに頻繁にあつかわれている。しかし、滅多にない特別イベントの皆既月蝕を表現した作品は、ほとんどなさそうだ。まったく思いつかない。

だいたいが、月の光は青白いものとして表現されることが多い。歌謡曲の『月がとっても青いから』、エルヴィスも歌った『ケンタッキーの青い月(Blue Moon of Kentucky)』。ヒルトンの『失われた地平線』の理想郷シャングリ・ラには「蒼い月の谷」がある。映画『E.T.』の月も青かった。青白く光る宝石に、ムーンストーンがある。

英語で"once in a blue moon"というと、滅多にないめずらしいことをさす。一ヶ月の間に二度おとずれる満月をブルー・ムーン(blue moon)というからだろう。だけど、音楽や文学で頻繁に目にする、青白い月のイメージは、月の神秘性を静かに表現するのに、すっかり一般化した感がある。

皆既月蝕の赤銅色の満月は、そんな青白くて静かな月のイメージにあわなくて敬遠されるのだろうか。

わたしの大好きな曲に、トム・ウェイツの『New Coat of Paint』がある。この曲で、トムは「バーガンディ色の空に浮かぶ、あの血走った月を笑い飛ばそう(We'll laugh at that old bloodshot moon in that burgundy sky)」と歌っている。

この曲は、古臭くなった街を自分たちの色に塗り込めてやろうという歌だ。歌の主人公は、月に向かって吠える狼のように、月を笑いとばそうとしている。その月は、バーガンディ色の空から世界を見おろしている。そして、血走っている。

くりかえすけど、”バーガンディ色の空にうかぶ血走った月”だ。赤暗い空に赤い月。洒落ている。そしてちょっと狂っている。美しい。

われわれがどうにもかなわない、超越した存在としての月。その月を、非日常的な姿で描いている。月に対するありきたりではない表現に、主人公の自由な精神が見える。ひるがえって、主人公の儚さと自然への畏怖の念があらわれているとも、とれないだろうか。

この曲で歌われている”血走った月”に、皆既月蝕が想定されているなどとは、とうてい思えない。それでも、偶然にも共通する赤い月のイメージは、わたしのなかの皆既月蝕の非日常性につながっている。

わたしがこの曲を大好きなのは、カッコいい旋律とサウンド、トムのしゃがれ声だけでなく、まちがいなく”バーガンディ色の空”と”血走った月”の歌詞によるところがおおきい。

皆既月食がすぎ、翌日の木曜日はまったく月が見えない雨だった。天気予報ではこれから晴れるという。金曜日の明け方には、通常運転の十六夜の月が薄明に沈むのが見られそうだ。

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