成長教に毒されていた自分
私は若い頃、熱に浮かされた。
その名も「成長教」だ。
この病にかかってしまった人は、成長したくてたまらない病にかかってしまう。
昔の私はその病気にかかってしまい、もはや成長教の信者だった。よく分からないけど成長したくてたまらなかったし、日々仕事で成長・成功して一流企業でバリバリな友人たちを「わ~!かっこよくていいなぁ~!」とシンプルに思っていた。
子供の頃から、沢山のマンガ達が『成長は良いことだ!』と描いていたし、TVドラマでは大抵主人公が努力しまくって成長し、仕事も恋愛も成功するというお決まりのストーリーが繰り広げられる。気づけば当たり前にその概念を妄信していた。
「仕事を頑張れば私も何かしら成長できて、そしたら人生楽しくなるのかな・・?」と漠然と思ったアホな私は、『できることから成長してみよう!』と、まずはその頃していた飲食バイトを頑張りまくってみた・・・。
現実とマンガは違った
現実とマンガは違う。
飲食で頑張って成長できる部分なんて限られている。
接客、提供、会計、そして外にあるメニューをのぞき込み来店を悩んでいる人への呼び込み。
実際にやってみると、全然興味の湧かない仕事に違和感しか感じなかった。成長とか、ほぼしない。会社にとっては使いやすい人材になれただろうが、私の中での成長はどこにもなかった。成長はないが、バイト代にはなった。
若い成長教の私は、なんだかそれじゃいけない気がした。
成長教なので、もちろん成長しない職場にいるのは怖い。胸が苦しくなってきた。
成長教の自分の恐ろしい所は、成長さえすればいいのだ!と妄信していた為、肝心の「これがしたい!!」という根本的目標が全くなかった事だ。
あぁなんて恐ろしい・・・!
とりあえず、一流企業を目指したほうがいいのかも・・・とその頃の私は思った。なんせ一流と名のつく場所なのだ。きっと入れば成長すること間違いなし!なはず・・・(笑)
そう、やりたいことはないくせに、成長だけはしたかった。
恐るべし、成長教・・・(;゚д゚)ゴクリ…!
もちろん、そんな人生は息苦しいものとなる。
そもそものやりたい目標がなかったので、何をやっても達成した気にもなれず成長した気にもなれない。しかし、成長教は成長だけはし続けなければいけない。何もせずに休むのが、一番怖いのだ・・・。然るに、安心して心休まる時間は一瞬たりとも存在しない。いつも変に焦りだけ感じ、しかしどうすればいいのか正解がよく分からない。
そんな日々を続ける間に、一流企業に入る前に闇のポッケにすっぽり入った。ある時気づくと、鬱だった。
現実は成長より健康yo!!
成長教信者の自分が休むなんて、もちろん許されない事態だ。
鬱になって休むしかない当初は、寝るしかできず成長できない自分を責めまくり、更に胃腸に大病をし引きこもりとなった事で【成長・成功ルート】から自分がかけ離れ、もはや社会へ戻れないのかもしれないとすごく焦った。
誰も何も言ってこないのに、自分の中の成長教の神さまが自分を怒った。「これ!成長せい!!」と言ってくる。心の神の声はとてもうるさい。
ついに『ぐぉぉぉお!キツイ!!』と耐えられなくなった私は、おかんに生まれて初めて「ちゃんと、一流企業とか入って働けてなくてごめんね」と謝った。
するとおかんは、え?何が??みたいな顔をして、「一流企業?そんなの別に入んなくても、健康だったらそれでいいわよ~!!」と、サッパリした笑顔でそう言った。
心底、娘にそんなものは一切期待していないのが伝わる気持ちのいい笑顔だった。
自分は何がしたかったのであろう?
え?!あれれ!?
おかんよ。あなたは私の成長物語、全然求めてなかった?!と呆気にとられ逆に私が驚いた。
だって、マンガやTVはさもそれがいいことのように描いていたのだyo!
HUNTER×HUNTERだって主人公が成長しないと物語は進まないし、NARUTOだって主人公は信じられない成長を遂げる。成長して初めて、彼らは何もかも手に入れていた。
だから、超素直な私はそれを真に受け『成長』すればきっと周囲も親もみんな喜ぶし、人生何もかもが手に入ってうまくいくんだろう、と漠然と信じていた。
だが、我がおかんはマンガとか一切読まないリアリスト。どうやら、私とおかんでは価値観が違ったようだ。娘の一流企業なんかより、娘の健康。これが現実。なんと有難い話ではないか。
私が健康でありさえすれば、工事現場の親方を始めようと、ヨーロッパで墓守りしてようと、パラグライダーの仕事で空すらウヒョーーー!っと飛んでようと、別に何でもいいと思っていたのね!!とハッとさせられた。
成長したら何でも手に入るのと勘違いしていたけれど、形のない成長という概念に踊らされまくった私が手に入れたのは、単なる鬱と休まらない心だけだったのか・・・。
・・・・・・・( ゚Д゚)
くそぅアホ!アホアホアホ!何をしていたのだ自分は!!
冷静に考えたら、成長して一流企業に入ったとしてもそこに自分のしたい仕事なんて特にないや( ゚Д゚)!と至極当り前のことに私は気づいた。
何もないけど幸せだった
思えば、親は私がブラジル留学した時点で『この娘が成功したらいいな・・・!』なんてみじんも期待するようなタイプではなかった。
もし両親が私へ社会のテンプレ的な「成長・成功」を求めていたら、娘のブラジル留学なんて即刻辞めさせ、アメリカだのイギリスだののハイソな高校や大学に借金してでもぶち込み、英語を覚えさせハイソな人脈でも作ってこさせようとしただろう。
実際の私は、身一つでブラジルへ行き、帰国の際に持ち帰ってきたのはハイソな人脈などではなく、仲良くなった友達がくれたでかくて青い謎のゴリラの人形1つと、色んなクラスから沢山の寄せ書きが描かれたサッカーボール3個。そして、正直日本でほぼ役に立たないポルトガル語だ。
それらを手にして、真冬の日本に「ただいま~」と真っ黒い肌に短パンで、ニコニコ笑って帰ってきたやつ、それが私だった。そんな姿を両親が「よかったね」と温厚に迎えてくれた時点で、成功なんて気にしていないと気づくべきだった。
そうして社会的に考えれば別に成功でもなんでもないそんな体験が、私にとってはまぎれもなく幸せな経験で、何もかも手に入れていた時間だった事に気づいた。
幸せはヘンテコな成長の先にあるのではなく、素朴な日常に隠れていたようだ。チルチルミチルの青い鳥が私の頭の中に浮かんだ。どうやら本来の私は、成功したいんじゃなくてただ興味のあることだけがしたかったようだ。
成功より自然体でいたい
成長・成功なんて気にせずただ好きな事に進んでればよかったなら、私は考古学者だったり、美術作品などの修復を行う保存修復師だったり、TVウルルン滞在記or世界ふしぎ発見のような海外へ飛び込む仕事、秘境を巡る冒険家、果ては年老いたらハリーポッターのダンブルドア校長みたいになってみたい。
こうしてみると、社会が思い描く成功して幸せそうな人の像と、私の思う幸せ像は全然違った。
私は、年老いたら最早性別を超えてヒゲもじゃのじいさんになりたい女だったのだ。一般社会の成功なんて、もはや世界線がそもそも違っていたのか!と改めてハッとし、ようやく心から一般社会での成功する自分へ諦めがついたのだった。
まとめ
今思えば、成長、成功をしたいと思う私の原動力はシンプルに「将来が不安」だったからだろう。
何かしら嫌な事でも頑張れば、将来の不安から逃れられる気がして嫌な仕事も頑張ろうとしたり、興味のない資格まで取ってみようかなど前はよく悩んだりしていた。
でも、やっぱり嫌な仕事は嫌だし、興味ないものは興味ない。
嫌を我慢して定年まで我慢する人生は、こらえ性もなく怠惰な私には送れそうもない。30代からは、ムリせず流れるように肩の力を抜いて生きていこうと思った。今の仕事は、基本的に社会からどう思われるかでなく、自分が興味があるかだけを第一優先に選ぶようになって初めて心がじわ~っと満たされているのを感じる。日々は平和だ。
たまに情熱大陸とかセブンルールなんかを見てしまい、他人の頑張りにあてられ変に頑張りそうになる事もあるが、「いかん、ゆるく生きていこう~!」と思い慌てて深呼吸して茶をすする(笑)。
自分に向かない仕事は断るようになったし、大人になった事で、できないものは「あ、それできないんですよ~」と笑って爽やかに言えるようになった。
日本の風潮は成長をよしとする文化がかなり強いので、自分だけゆるく生きるのが難しい文化だなぁとは感じるけども、成長よりも本当に大事なことは、力まず自然体で過ごす中にある気がする。
これを読んでくれた方の中にも、私と同じように日々「成長教」の呪いが聞こえている人もいると思うけれども、私みたいに将来の不安に耳を澄ませすぎて苦しくなったり、社会からどう思われるかで仕事を選ばないで、気になったり好きな事があったらぜひ勇気を出して飛び込んでみたり、転職したりして、素敵な人に会えるチャンスを探してみたり、好きな人には好きと伝えられる時間を大切にしてみたり、家族との何気ない日々を大切にしてみたり、そんな肩の力を抜いてムリせず心安らげる時間が増えたらいいなぁと思う🌈
成長とか、疲れるよねって話でした(笑)。
気ままに生きよう!
今日は以上。
さてさて。
今年は本業が忙しくnoteの更新も遅いけれども、そろそろ今までに出会った海外や日本の面白&変な人たちについても少しずつ書いていけたらいいな!と思う最近です。
最近は内面の話を多く書いたけど、シンプルに楽しいことも書いていきたいな~!!!🌼
それでは今日もみんなが元気であるよう願っています(*^-^*)
今日も明日も素敵な一日でありますように~☺️🌿
愛を込めて。
さいとうでした🌸