驚きの天然要塞!!:高天神城の地形と地質part1【お城と地形&地質 其の九-1】
戦国時代の「城」は、様々な理由でそこに建っています。
その地域を治めるために立地が良いとか、政治的な意味もあるでしょう。
そして何より他大名との戦での「守りやすさ」も重要です。
そのような「お城」を地形・地質的観点から見ていくシリーズ。
今回は高天神城です!
高天神城の概要
高天神城(たかてんじんじょう)とは戦国時代に徳川家康のが領有していた城であり、武田勝頼と数々の戦いが繰り広げられました。
築城は源平合戦の頃とも言われていますが、正確な記録で存在が確認されるのは、戦国時代の今川氏の時代からのようです。
「高みにいる天神」、もしくは「天神がいるほどの高み」なのかは分かりませんが、名前から受けるインパクトも大きい城ですよね。
高天神城は遠江国(現在の静岡県西部)の東端に位置し、当時武田領であった東隣の駿河国(するがのくに:現在の静岡県東部の伊豆半島を除いた地域)に対して最前線となる位置にありました。
上の図は武田信玄の西上作戦後の状況です。
黄色が徳川、青が武田です。
高天神城は、西上作戦の時に掛川城とともに徳川方として残った城です。
しかし信玄死後の長篠の戦いの前年に、武田勝頼の猛攻を受け、落城してしまいます。
この時の徳川軍は、信玄の西上作戦で大打撃を受けた影響で動員できる兵力が少なく、高天神城に援軍を送ることができませんでした。
つまり援軍があれば落城しなかった可能性があり、それだけ堅牢な城だと想像できます。
高天神城の地形
その名前や戦いの経緯からも、難攻不落なイメージの高天神城。
果たして、どのような地形の上に建っているのでしょうか?
高天神城は上図の青丸をピーク(標高266m)とする小笠山の南南東に位置しています。
小笠山(おがさやま)の一帯は小笠丘陵と呼ばれ、山頂から放射状に沢が発達し、また細かい谷地形が入り組んだ複雑な地形になっています。
拡大図です。
城の標高が132mであり、周辺の平坦地との落差は100m程度と決して高くはありませんが、周囲を急斜面に囲まれています。
また尾根が細長く入り組んでいるため、進入路も限られます。
まさに「守るに易く、攻めるに難い」と想像できます。
観光サイトから情報を得ようとネットで探してみたら、とんでもなく凝ったサイトがありました!
3Dイラスト等も駆使した楽しい作りになっているので、ぜひ見てください。
「城の特徴」を見ると良くわかるのですが、山の地形をそのまま使った城の造りになっており、まさに「要塞」です。
概ね赤点線の範囲が高天神城の範囲で、このあちこちに曲輪(くるわ:平時は倉庫で戦闘時は攻撃の拠点になる施設)が配置されていたようです。
城の中心部を攻撃したくても左右に出っ張りがあり、その先端から攻撃されたら近づけませんよね。
しかも城の中心部付近にため池が設置されており、水に困ることもなさそうです。
以上のような城の構造は、細長く入り組んだ尾根が発達する山容だからこそ、可能なものでした。
さて、このような特異な地形はどのようにして出来たのでしょうか?
次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。