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リソース配分 ごはんと運動
おはようございます!今日もアラームより早く起きられました。どういう風の吹き回しかは分かりません。
薄暗いままでお湯を沸かし、米粉のパンを蒸しました。土日に作って冷凍したインゲン豆とキャベツのポタージュを温めて、蒸したパンと食べました。バナナを食べながら生卵を蒸しましたが、卵を食べる時間はありませんでした。
昨晩飲みたくて作った蕎麦湯で豆乳ベースのポタージュを割りました。さらさらの方が飲みやすい。
huelと玄米甘酒をシェイクしてカバンに入れました。huelと玄米甘酒の組み合わせは、発明並みの相性ですよ。ぼくのは、黒huelバニラ味です。Amazonで買いました。ゲッてなるくらい大容量ですが、プラのスプーンに乗る量のことしか気にしないように努めます。負けない。
全然関係ないけど、秋柄のあげは蝶が飛んでました。ひんやり軽い空気にひらひらとした侘び寂びのある柄の羽が重なっていて、うれしい気持ちになりました。
ごはんか運動か リカバリーと19時
なんとしても定時で上がって、水泳に通う毎日でした。会社で嫌がらせされたり、ナルシストやマキャベリストに潜在的に陰湿な心理的虐待をされたりしますから、そのストレスをなんとかすることが、生きるために必要なことでした。
続けられる運動を見つけるのは困難な課題ですが、水が好きでひと目が苦手なぼくには、水泳がハマりました。初めは水着を伸ばすのもおぼつかず、水に入るだけで、圧力の差で足が攣りましたが、週2回、水に入ることを目標に続けました。もう2年半くらいになります。マキャベリストは職場からいなくなりました。体力がつくだけで、日常生活のストレスはあまり感じなくなりました。運動をすると、食欲が湧くようにもなりました。
そんなふうに成功体験を積むと、今度は、ぼくは水泳をするから生きていられるのであって、水泳をしなければ生きていけないのではないか?という不安が芽生えます。が、最近は、カラダではなく、アタマのほうのリカバリーをしている感じです。水泳の頃はコンサータを飲んでいませんでしたが、今は毎日飲んでいます。毎日頭に汗をかいていて、後頭部が痒いです。
こういうノートも書いてみています。そして、食べるという暮らしの側面についても、取り組む時期を過ごしているようです。
運動をしなくちゃいけない!かどうかはともかく、定時で帰って運動をすると、残業や食事のことや、他のことが当然できなくなります。単純に時間を使うからです。運動は服薬と同じくらい、良い効果があるとも言われますから、服薬をしていないぼくが運動をやめるのは、断薬くらいのリスクがあるのではないか?
ですが、ぼくの身体がそうしたいというのだから、そうしてみようと思いました。すると、栄養が取れるようになり、せいろを使った文化的な暮らしが始まりました。
食事が豊かになると、肌も綺麗になるし、単にストレスがどうということではなく、調子が良く、気分が良くなります。そうして、社会生活も豊かになります。
リカバリーと安全と賭け
やったことのないことを始めると、決まって疲れるし、決まって失敗します。お金も使うし、マルチタスクになってやっぱり鬱っぽくなるかもしれないし、頑張りすぎてハイになって、やっぱり鬱っぽくなることもあると思います。ですが、その失敗を繰り返すと、すべての失敗や苦しい思いをした経験が、次の課題に取り組むとき、そのスムーズな打開を助けます。
他のことをやる→習熟してコストが圧縮される→運動をまたやる
で、いいんだと思う。
水に入って足が攣っても、落ち着くまでゆっくり待ちます。その間に、心を観察したら、そのうちゆるみます。
皮膚の刺激がつらいから、はじめはラッシュガードを着ます。ラッシュガードを着たままでは脳が蒸される思いがするまでは、長袖が心理的安全を守ってくれます。
近況
波風を立てたくない、と言われました。考えたこともなかった。やっぱりぼくは躁鬱人です。
体力がついて、栄養がとれて、取り組むことが増えると、なんだか自分にとってどうでもいいことは意に介さなくなるんですよね。