性暴力の記憶に苦しむ他者の隣で、
ずっと怖かった。
他者の痛みを前にして、私の言葉は、行動は、感情は、意味を持たない。むしろ、私がのうのうと生きていることは、その人の傷をえぐるかもしれない。
そう思うことがよくあった。
他者が私に傷を見せるとき、私はそこにいるだけでいい、一緒にいるだけでいい。そう思いたい。でも同時に声が聞こえる。
「お前は結局いつも間に合わない。」
近しい人が、過去に受けた性暴力や性被害について語り出すとき、私はいつも「間に合わない」。一緒にいるのは今なのに、語られるのは過去だ。「今の私」は無力で、絶対に「過去のその人」を助けることも、一緒にいることもできない。
ならばせめて、傷とともに生きる「今のその人」を助けられるのか。一緒にいられるのか。果たしてそれに意味があるのか。傷は癒えるのか。近しい人が、痛みを語る声を聴きながら、毎回自分に問う。答えは出ない
※以下、性暴力、レイプに関する記述があります
私と私の友達と性暴力
レイプする人がいる、レイプされる人がいるということを初めて実感したのは16の時だった。私の高校で、同級生をレイプした人が退学になったからだ。加害者の生徒は知らない間に学校からいなくなり、何があったのかを知ったのは、彼がいないことに気づいた3カ月後だった。レイプが自分の身の回りで起こり得ることに驚いた。16の時、私は自分の特権性に残酷なほど無自覚だった。
性加害で退学する同級生はその後も何人かいた。被害者は、女性とは限らないことも、ここで指摘しておく。
最初に感じた驚きは、だんだんと日常に溶けていった。しかし、私(たち)の沈黙によって保たれていた日常の静謐さは、ある日、壊れた。
その日、なんてことはない、いつも通りの昼下がりに、私はまずい食事を囲んで友達2人と喋っていた。
前触れはなかった。急に友達の1人が過去にレイプされたことを語り始めた。彼女が過去にトラウマを抱えており、今も眠れない夜があることは知っていたけれど、何が実際に起こったのかを聞いたのは初めてだった。
私はその時「今、この人の話を聞かなきゃいけない」と思った。
途中で、もう片方の友達が離席した。それを尻目で見ながら、言葉を選ばずに言えば、「なんてひどいやつだ」と思った。「なんで人が傷について自己開示しているのに、その場を去るんだろう?」
そんなことを思いつつ、彼女の話を聞いていた。視線を落とした先で、黒々としたテーブルに、枯れ葉みたいな柄が白く散っていたことを今も覚えている。
彼女が語りを止めたあと、何を言えばいいか分からなかった。
16の私は、沈黙を恐れていたから、「性被害について言っても言わなくてもいい。いつでも言いたい時は言って良い」みたいなことを、16の彼女に言った。
でも肝心なことは何も言えていないことを分かっていた。結局、何を言えば良いか分からなかった。私はその戸惑いを持て余した。
17になって、私は語ることを覚えた。自分の痛みについて大事な人に話すようになった。
語りは語りを生むのかもしれない。その日も、特別な日ではなかった。何の話をしていたのか覚えていない。再び前触れなく、まさにあの日離席した友達が、自身が幼少期に受けた性暴力について語り始めた。
彼女は、性被害の記憶が最近特に蘇ってきて、不安と混乱を感じていると言った。性加害者である親戚とは、今でも会わねばならない時があるとも。また、以前離席したのは、「あまりにきつくて、聞いていられなかったから」だとも。
私は本当に、なんて言えば良いのか分からなかった。自分が何を言いたいのかも分からなかった。1年という歳月は、私になんの成長ももたらしていなかった。
「その親戚と会わないっていう選択肢はある?告発はできる?」と聞きながら、自分の言葉の軽薄さに吐き気を催した。親戚を告発することの難しさは、誰もが、他の人に言われなくても分かっている。
しかも、彼女が聞きたいのはそんな言葉じゃない。分かっていても、かける言葉が見つからなかった。彼女が離席した理由も知らずに、責めていた自分が恥ずかしかった。沈黙が横たわった部屋に、彼女の呻き声が響いていた。
17の私がその時に感じた無力感と、世界と自分に対する怒りは、今でも私の中に残っている。
何もできずに、沈黙し、忘却する私
他者の受けた性暴力の経験と、今も残る傷が露わになるとき、私は何もできない。沈黙している。
そして、沈黙は、沈黙を生む。
私が沈黙することは、その人がいずれ語り終えることを意味する。その人が沈黙すると、「その人みたいな人」も沈黙する。
被害者側の沈黙を生み出すこの世界を、私は憎んでいる。しかし、憎んでいるのに、私もその憎き世界の一部になっていることを痛感する。そのことを、私の沈黙は何よりも露わにする。癒えない傷を直視しながら、何もできないことが怖かった。自分のちっぽけさを思うのが怖かった。
だから、映画「一月の声に歓びを刻め」を観ることを躊躇った。
性暴力と傷、罪の意識について扱うこの作品を見れば、なす術もない自分の存在を意識させられることが分かっていた。自分が時々「死にたい」と思う資格がないと思うことも。
映画館を訪ねる予定を、スケジュール帳に入れては消し、入れては消した。迷っている間に、公開期間が過ぎてしまわないかな、なんて思っていた。
でも一昨日、久しぶりに開いたXで、(相手にその気はないだろうが)私の読書案内をしてくれる人が、「花を手向けたくなる映画」と呟いているのを見た。
観るしかないと思った。
向き合うしかない。
いや、一度、向き合ったつもりになっても、他者の痛みを、私たちはすぐに忘れる。
それならばせめて、映画を観ている二時間くらいは、自分を差し出そう。
忘却に救われて、のうのうと生きてきた自分を憎みながら、それでも他者と生きていきたいから。大事な人の前で何もできない自分をどうにかしたいから。観るしかない。
苦しんで、ごめんなさい
映画を観ながら、共感してはしてはいけないと思った。
「あなた」の個別具体的な痛みに触れるとき、私たちはその経験を普遍化し、安易に共感すべきではない。
でも、どうしても、涙が流れる。
自分の身体のどこかが震えている。
私の小さな傷が癒しを求めて共鳴していた。
鑑賞後、自分の涙に罪悪感を覚えた。そして、考えていた。
あなたの痛みに触れるとき、私はまぎれもなく苦しい。
間に合わないことが、何もできないことが、代われないことが、苦しい。
でも、苦しいことが後ろめたい。
その傷を経験したあなたを、今も私はひとりにさせているから。
沈黙と隔絶は答えではない。答えであるべきではない。でも、現に、私はそれ以外の答えをあなたの前に用意できていない。
あなたが苦しいと、私も苦しい。
でも、あなたの大きく深い、長く続く苦しみの前で、苦しみをすぐに忘れる私は、苦しんでいるふりをしているみたいだ。
苦しんだつもりになって、
苦しんで、ごめんなさい。
声なき声は、声なき声のために
しかし、この映画が私にもたらしたものは、罪悪感だけではなかった。私自身の過去の傷への想起でもあった。
今、私の傷がどのようなものだったのかについて書くことはしない。今はその時ではない。
だが、声なき声は、声ある者を説得するためにある訳ではないというメッセージを、私は確かにこの映画から受け取った。弱者の声は、弱者の元に届いて初めて、新たな声を生み出すものとなり、癒しの歌声となり、生き延びる灯火となる。
それまで、私はなぜか、作品は、マイノリティがマジョリティにメッセージを伝えるためにあると思っていた。「正欲」などが良い例だ。マジョリティをいかに他者理解に引き込むか、が重要だと思っていた。
しかし、「一月の声に歓びを刻め」は、他者のための作品ではない。全ての声なき声がそうであるように。この映画は、確かに、声なき声を拾い、聴きながら、新たなる声なき声の存在を示唆している。私が自分の傷を想起したように。そして、声なき声は、傷を抱える無数の「声なきわたし」のためにある。
これまで、表象も言語も持たなかった、どう表現していいのか分からなかった、無数の人々の傷が、痛みが、露わになる。いつか癒しの手に触れられるために。私たちは、声なき声の表象を通して、声を得る。それは、マジョリティの再生産された声ではない。生き延びようとする者たちの、新たに生み出された声である。
私はどうあるべきなのか
私は、この映画を観て、他者の性被害に触れるなかで、自分の傷も想起したとはいえ、未だに「自分の傷は取るに足らない、語るに足らないのではないか」と思っている節がある。人の痛みを前にした、「無力な憎き私」は続く。
だが、涙を流し、血を流している他者を前にして、震える自分を、少なくともさらしたい。怖がり、沈黙し、忘却する自分を。
片時も傷を手放して生きられない人の隣で、私はすぐに忘れてドラマを観たり、映画を観たり、笑ったりしている。残虐だ。そして、弱い。
その残虐さと弱さを、私はあなたから隠すべきではない。
他者の痛みに触れる時、私は、姿を隠し、権力だけ行使して、弱者を黙らせる、強者であるべきではない。いや、むしろ、強者ではいられない。私の弱者性は否応なく想起されるからだ。一方で、他者の弱者性へ、安直に土足で踏み込むべきでもない。
せめて、残虐さと弱さを合わせ持つ、私という存在を、あなたの前にさらすべきだと、今は思う。
生きていて欲しい
私には何もできない。でも聴くことくらいはできる。いや、それも、役には立たない。あなたがひとり、泣き、血を流す夜、私は眠っている。眠ったことさえ忘れて、次の日の朝、あなたに笑いかけている。でも、それでも、私たちは共に生きている。私はあなたと生きたい。私はあなたに生きていて欲しい。この願いには暴力性がある。この願いはエゴだ。それでも、あなたに生きていて欲しい。それだけは、伝えたい。
最後に、私の敬愛する高島鈴さんの言葉を引用する。
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