「どう接していいかわからない人」との関わり方
ずっと「どう接していいかわからない人」を避けてしまう自分のことが嫌いだった。
外国人が歩いていればたちまち噂になるような田舎で育ったし、障がいがある人と同じクラスになったことがない。小さな子どもと接する機会も全然なかった。
だから子どももお年寄りも障がいがある方も外国人も、わたしにとってはみんな「どう接していいかわからない人」だ。本当は色んな人とうまくコミュニケーションを取れる人が羨ましいし、それができない自分のことが恥ずかしい。
わからないのだ。
どんな配慮が必要で、どんな言葉なら通じるのか。何を聞かれると嫌で、どんな発言が差別なのか。どこからが相手にとって不快な「〇〇扱い」なのか。
知りたいという気持ちは好奇の目にならないか。自然体でいることと配慮がされていないことの境界線はどこにあるのか。
頭でっかちなわたしは、ついその「答え」を探したくなる。答えを知った上でしか関われないと思ってしまう。
そんなアンテナが拾ったのか、はたまた何らかの強いエネルギーが発せられていたのか、書店で妙に惹かれて本を買った。
内容はタイトルのままだ。
『私の話を聞いてください ~沖縄に移住した「重度知的障害」の私と先生の交換日記~』
すぐに頭に浮かんだのは、2年前から取材している重度知的障がい者施設の利用者さんたちだった。
利用者さんに初めて会った時、どう接していいかわからないし、正直怖いと思った。突然近づいてきたり、奇声を発したりと動きが読めないから。きっと言葉を投げかけても理解できないんだろうな。そう決めつけて距離をとった。
だけど、この本に書かれていた「ゆなのトリセツ」を見て驚いた。ゆなさんが伝えていたのは、「動きが読めない」のは、本人にとってもそうだということ。自分と意志に反して体が動いてしまい、頭の中に言葉があっても発することができないらしいのだ。そして、そのことについて本人も困っているということが綴られていた。
わたしは自分の意思の通りに体を動かせて、頭に浮かんだ言葉を発することができる。だから想定外の行動をする人を見れば、想定外の意思の持ち主なのだと決めつけてしまう。
だけど、本人にとってもその行動が想定外だとしたら?それはわたしたちが「怖い」と思ってしまうように、本人にとっても怖いことな気がした。
なるほど!と思ったら、途端に自分の中の恐怖が和らいだ。
恐怖を取り除くには知るしかない。とはよく聞く言葉だが、本当にそうだなと思う。
だけどそれを伝えるのは、どれだけ大変だろう。耳を傾けてもらえない恐怖や信じてもらえない恐怖、信じてもらえたとしても「じゃあどうしろって言うんだ」と一蹴されてしまう恐怖、他にもいろんな怖さがあるかもしれない。とにかく何かを伝えるということに、人より何倍もの勇気が必要なのは確かだと思う。
だけどゆなさんは「伝える努力」の天才だった。理解してもらえない困りごとについて「助けて」と声をあげるのは、健常者であっても難しい。それでも伝えることを頑張ることは、自分も他人も諦めないという強さだと思った。
そして受け手の京子先生は、「知ろうとする姿勢」の天才だった。
たとえば「しんどい」という言葉への京子先生の返事。
たとえば「もう頑張るのが嫌」「先生は健常者だからそんなことが言えるんだ」と書かれてしまった時の返事。
京子先生は、ゆなさんのことを心から信じているのだなと思った。わたしなら「健常者だからそんなことが言えるんだ」と言われてしまったら、謝るしかないと思ってしまう。そして閉ざしてしまう。「傷つけてしまった」「どう接していいかわからない」と。
だけど京子先生が信じるように、ゆなさんは強い人だった。粘り強く、自分が考えていること、傷ついていることを伝え、京子先生に感謝もわかって欲しいことも、言葉の限り伝えることをずっと続けた。京子先生もそれを受け止め続けた。その積み重ねでできた信頼関係はとても強い。
引用したい言葉はたくさん、たくさんあるけれど、最後にゆなさんの言葉ふたつを引用したい。
結局この本には、障がい者にどう接したらいいか?の「答え」は載っていなかった。
だけど、そもそも障がい者だろうが健常者だろうが、人と人とが関わる上で正解はないのだとわかった。
ただし、正解と呼べる姿勢はあるかもしれないと思った。それは「目の前のあなた」を尊重し、知ろうとし、決めつけず、諦めず、言葉を探りながらぶつけてみることなのだと思う。ひとつの大きな「答え」はなくて、ひとつひとつの小さな「答え」を探り続ける、という感じ。
ただひたすら綴られたやりとりの中には、ゆなさんを救う言葉も嫌な気持ちにさせる言葉もあり、それでも対話を諦めない姿勢だけがずっと積み重ねられている。そうやって積み重ねることが重要なのだと思った。
あともうひとつ、読んでいるあいだ中、ずっと思っていたことがあった。
「伝える」って、なんて果てしないんだろう。
「理解する」って、なんて難しいんだろう。
ここに綴られている言葉はすべて、母親との「指談」によって紡がれたものだ。ゆなさんが母親の手のひらに指で文字を書き、それを母親が読み上げ、録音したものを文章化している。人よりも手間をかけ、母親の協力を仰ぎ、なんとか自分の言葉を伝えることができるのだ。
だけどそれでも「母親が考えてやっているんじゃないか」と言われることがあるらしい。人一倍面倒を引き受けて、諦めたくなるような果てしなさに立ち向かっても、それでも「障がい者はできないだろう」に当てはめられてしまう。自分自身も苦しいし、母親に対する申し訳なさも感じるだろう。もしかしたらそっちの方がきついかもしれない。
だけど、それでも伝えようともがくから、ゆなさんの言葉は響く。そしてそのひとつひとつを大切に受け取る京子先生がいるから、その言葉は膨らんでいく。
ゆなさんの勇気を受け取って、わたしも自分の言葉を伝え続けよう。
京子先生の度量の広さを見習って、わたしも人類を信頼しよう。
そんな覚悟が芽生えた読書でした。