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インサイド・ヘッド
今更かい!ってツッコミは胸にそっと
しまっておいてください
最近、ディズニー映画を観るようになりまして。
色んな作品があってどれから見るといいか
悩んでしまったので、ファンの人たちにもおすすめを
聞いてお気に入り登録をしてその中からそのときに
ピンときた作品を見るようにしてます
でも、これが大正解
今自分に必要なこととか悩んでいることのヒントに
なっていて直感は侮れないなって思いました
今回見たのは「インサイド・ヘッド」
感情のお話なので前からずっと気になって
いたんです。
見た感想を一言で言うなら子育てする親ほど
これは見た方がいい!!
基礎感情、「喜怒哀楽」をベースに特別な思い出が
その人の性格になりその人らしさになる
インサイド・ヘッドでは基礎感情の中でも
特にヨロコビである「喜」とカナシミの「哀」に
焦点を当てて描いていましたが、私は成長する中で
「哀」に寄り添ってもらえなかったことから
「喜」を表現することができなくなってしまった
ことに気づきました
物語が進むにつれてヨロコビはライリーの特別な
思い出を悲しみに変えてしまうカナシミを
いらないものとしていました
だけどカナシミを離そうとすればするほど
空回りをしていたヨロコビ
最後にはヨロコビにはカナシミが
カナシミにはヨロコビが必要だとお互い再認識
するシーンがありました
ヨロコビとカナシミが司令塔を離れている間
ビビリ、ムカムカ、イカリがライリーを
幸せにするために奮闘していましたがこちらも
空回り。
ヨロコビとカナシミが戻ってきて、全ての感情が
うまく共存してようやくライリーに笑顔が
戻ってきていました
感情の共存
親が子どもの「喜怒哀楽」に寄り添い
適切な感情表現をサポートする
もちろん親だって完璧ではないし余裕がなくて
寄り添えないことがあるのも重々承知です
それでも、感情をなかったことにしてはいけない。
最近気づいたことがあるんです
私の「怒」は冗談なのに何怒ってるの〜?
意味わかんない、だる、きもい
そんは言葉で消されていました
私の「哀」はそんなことで泣かない
泣いて許されると思うなよ
そんな言葉で消されていました
私の「楽」はふーん、あっそう、私もね〜
そんな言葉で消されていました
そう、私に残されていたのは「喜」だけでした
どんなときでも喜んでいないといけなかった
私の喜怒哀楽に寄り添ってくれる大人はいなかった
感情への適切な寄り添いはその人がその人らしく
いるために大切なこと
私は他人に対して寄り添うことが苦手です
ただ、これは私自身寄り添ってもらった経験がなく
適切な寄り添い方を知らないだけなんですよね
今は感情に寄り添うことを学んでいます
まだまだ理解までは進めていないし、
私的に凄く負荷がかかっているからしんどいけど
出来るようになりたい、なる。
話を戻して…
私がこの作品の中で印象に残ったのは、
ヨロコビの「事実と意見の見分けがつかない」
という言葉。
ビンボンが「大丈夫、みんなそうだから」と
言ったように私含め、事実と意見・事実と解釈が
混ざってしまっている人が多いと私は思います
別のnoteで掘り下げていけたらいいなって
思っているのですがこれによって関係性が
拗れやすくなっている
ここを切り離して事実は事実で受け止められる
ような人でありたい
感情を適切に表現するためにも言葉を知って
いないとなかなか難しい
本を読むことにようやく抵抗がなくなって
色々読んでいますが、やはり言葉に触れる機会を
幼い頃に経験するって大事ですね☺︎