2つのガラスの茶室 光庵と聞鳥庵
初めてガラスでできた茶室を見たのは、京都の将軍塚にある青龍殿の大舞台でした。当時、京都界隈ではそれなりに話題になっていたものの、展示期間が長かったこともあり、混雑なく鑑賞できたのを思い出します。
その後、東京の国立新美術館、京都市京セラ美術館、直島と、図らずも様々な場所で見ていたようです。京セラ美術館で見たときに、「あれ、以前のと違う?」と思ったのは当然のことで、作者が違っていたことに気付きました。
吉岡徳仁 「ガラスの茶室-光庵」
2011年 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展
※1/10スケールの模型
2015-2017年 京都 青蓮院門跡 将軍塚青龍殿
2018-2019年 佐賀県立美術館
2019-2022年 東京 国立新美術館
(いまはどこにあるのだろうか)
吉岡徳仁はこの作品について、次のように書いています。
2002年「ガラスの日本民家」に始まる、日本家屋をガラスでつくるというプロジェクトの完成版が、この光庵なのだそうです。
当初発表した模型と実物とでは、屋根をはじめとして細部は異なっています。2011年の時点はコンセプトの発表だったのでしょう。ヴェネツィア・ビエンナーレの公式HPに、当時発表した模型の写真が掲載されていました(下記リンク)。
ちなみに、実際に茶室として使用する様子の写真を探して見てみると、座布団を敷いて座っていました。そんな細かいことが気になってしまいました。
吉岡徳仁は、1967年佐賀県生まれ。プロダクトデザインや空間デザインといった、デザイナーとしての側面が大きいかたのようです。わたしの身近なところでは、化粧品ブランド「SUQQU」の容器類や、京都にあるA-POC ABLE ISSEY MIYAKEの店舗。でも一番有名なのは、東京オリンピック2020の聖火トーチかもしれません。
杉本博司 硝子の茶室「聞鳥庵」
2014年 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展
2018-2019年 フランス ベルサイユ宮殿
2020-2021年 京都市京セラ美術館
2022年-現在 直島 ベネッセハウス
これまで彼が発表した茶室には、「今冥途(いまめいど) 」(マルセル・デュシャンへのオマージュを込めて)、「雨聴天(うちょうてん)」(千利休茶室「待庵」の写しとして)、そしてこの「聞鳥庵(もんどりあん)」があります。本歌取りの考えはもちろんですが、音と表記の選び方から、間違いなく駄洒落好きな方のように思えます。
作品を見た感想
2つの茶室に共通する最初の感想が、「夏は暑いだろうなぁ」
構造がよく分からないので何とも言えないけれど、外の世界との隔絶感はどの程度なのだろう。
お茶の時間は、五感が生き生きする。
季節の匂い、鳥や虫の声、風のそよぎ、釜にお湯を戻す音、美しく用意された美味しいお菓子。一見すると閉ざされた空間のようでいて外と内との曖昧性があり、季節と自然を愛でる感性に基づき、軽ろやかな建築が生む空間が、お茶の文化を育んできたように思う。
その空間が、密閉性の高いガラスで四方を覆われたら、どのような感覚になるのだろう。お茶会の空間では、茶室の外は感じる場所であっても、景色を見る対象ではない。ガラスでできた茶室の場合は、外の景色がよく見える。そして外から内もよく見える。内外の空気のつながりは感じにくくなる一方、視覚的な面では境界はより曖昧になり、内にも外にも/公にも私にも存在しているように思えてくるのかもしれない。
茶室は使ってこそ、その良さがわかるものだと思うので、一度でいいから入ってお茶をいただいてみたい。とはいえ、そんな機会は一生来ないでしょうから、かわりに実際に使用されている映像を探すことにしました。
聞鳥庵の茶室披きを見て
なるほど、躙口も茶道口も、扉を開けたままにしている。
美しいと思ったのが、お仕舞の頃に降り始めた雨。茶室の天井ガラスにうっすら雨が溜まり、そこに雨粒が落ちる景色は、まるで演出された映像のようにも見えた(17分過ぎ)。雨で濡れたガラスの露地を歩くと、きゅっきゅっと音がした。
理解としての二人の比較
最後に、私なりにそれぞれの特徴をまとめておこうと思います。
吉岡徳仁の言葉より
杉本博司の言葉より
吉岡徳仁は「日本人の自然観」を茶室を通して表現し、杉本博司は茶室をどう解釈し表現するのかという「茶室の概念」を表現した。そうして、現代にアプローチの異なる2つの茶室が生まれたのではないかと思いました。