もしママが余命宣告されたら?『はなちゃんのみそ汁』で明日からの決意をする♯153
退院前、最後の夜は『はなちゃんのみそ汁』をPrime Videoで観て過ごした。
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私は、この映画の主人公、安武千恵さんと同じ乳がんの手術で今回、入院をした。
そして、当時の千恵さんの娘さんの年齢と同年代、9歳、5歳の子供がいる。
千恵さんは闘病の末、天国に旅立った。
だから、きっと同じ病気で、同じ年代の子供がいる私に「見るのはやめろ」と止める人もいると思う。私も、同じ病気の人すべてには薦めない。
でも、私はこれからの自分の人生を新たにする上で、やっぱり、乳がんで「亡くなる」ことにも向き合いたかった。それに、この映画を味わうなら今しかないと思った。
抗がん剤治療や終末期に苦しむ様子は省かれている。また、乳がん治療中に千恵さんの妊娠がわかったシーンは、本当はもっともっと悩まれたんだと思う。映画の尺の中に入り込まなかった悩み、苦しみはもっと沢山あったと想像する。その点では、少しリアリティは欠けているのかもしれない。
でも、死を覚悟した千恵さんが、はなちゃんに「生きること」や「愛」を伝えるシーンが多々あり、それが私の胸を打った。
また、はなちゃんが「動いて喋っているだけで幸せ」と言う千恵さんのセリフにも共感した。
私のこの2ヶ月半が思い出された。
子供達が大人になるまで生きられないのかもしれないな、とよぎったこと。
もし、そうなった時、子供達の心の中で、「大丈夫だよ」と背中をそっと押してあげられる、そしていつでも抱きしめてあげられるお母さんとして生き続けたいと思ったこと。
そのために今、何ができるんだろうと考えたこと。
校庭、園庭で遊ぶ我が子たちを道から眺めた時、ただ元気そうに遊んでいるだけなのに「生きてる。本当に幸せだ。」と胸が熱くなったこと。
そういったたくさんの情景、心境を思い出した。
退院後しばらくは術後の痛みや、治療の副作用は感じつつも、また遅かれ早かれ日常には慣れていくのだろう。
子供達にイライラすることもまた増えるのかもしれない。
でも、何気ない日常にどれだけ感謝できるか。
その中でどれだけ大切な人と心を通わせられるか。小さな我が子にも、私が心に宿ってでも伝えたい言葉や愛情を自分が生きている間に伝えられるか。
これらは、時々でもいいから思い出したい。
そんなこんなで、『はなちゃんのみそ汁』を見ながら一人病室で大号泣。鼻水すすってるの、廊下まで聞こえていなかったか心配!家なら嗚咽をあげてたと思う😆(困難を乗り越える時、論理的に考えて気持ちを整理すること、一方で感情を我慢しないで吐き出すこと、どちらも大事なんだと思っている!)
観終わって15,20分後に看護師さんが体温を測りに来室。
「目、大丈夫ですか?!」と気づかれてしまった😆しっかりと頬に涙の跡がついていたのだそう😆
「映画に感動して号泣してました!」と笑いながら話すと、安心してもらった。
ついでに言うと、普段低血圧なのに、いきなり140近い値が出たので、再測定🤭深呼吸したら、だいたいいつもと変わらない値が出たので、「どんだけ感情昂ってたんやろ😆」と看護師さんと爆笑。
最後に、映画のエンディング曲になってた一青窈の『満点星』がめちゃくちゃいい曲だった。
歌詞より引用。
僕が満天の星になったら
君の寂しい夜を照らして
数多光を繋いで
三億光年先もずっっっっっとそばにいるからね!
ああ、また泣きそう。
明日から、この曲聴いて今の気持ちを思い出して、毎日を精一杯生きよう。