大森静佳『ヘクタール』/触れるものからするすると物語が紡がれていく
大森静佳さんの第三歌集『ヘクタール』を読みました。
この歌集は2018〜2022年の間に詠まれた短歌1000首から300首ほど選歌し、昨年の夏に出版されたものです。
大森さんは、第56回角川短歌賞をはじめさまざまな賞を受賞されている30代の歌人ですが、歌集を読んだのは実はこれが初めてです。
読んでみて、大森さんの繊細で身体的な表現に一気に引き込まれました。
なかでも『血ののぼる頬』『阿修羅』『夢のロープ』は何度も読むうちにぐっと胸に迫るものがありました。いくつか引かせていただきます。
読めば読むほど主体の静かな怒りややるせない感情が滲み出てくるようです。
木や風や海などの雄大な自然のモチーフに、言葉に表し尽くせない自身の感情を託していて、穏やかな景色の中に隠された人間社会の残酷さのようなものに気づかされます。
おそらく興福寺の阿修羅像がモチーフでしょう、目の前のひとつの対象から物語がするすると拡がっていくのがとても心地よい連作です。まるで実際に手を触れているかのような身体的な表現が秀逸で、「手」というものが主体と世界とを結ぶ大切な器官であることが窺えます。(ここで大森さんの第一歌集が『てのひらを燃やす』であったことに気づきました…)対象に手を触れることで(実際に触れていなくても)そのものが内包するストーリーをするすると読み解いて言葉にのせることのできる方なのだなと感じました。
こちらも読めば読むほどに主体の切実な思いが溢れてくる連作です。
女性として、人間として望んでいるのに手に入らないものたち。つま先立ちをして感情に蓋をして日々やり過ごしていても、自然が、周りの人たちが絶望を押し付けてきます。同世代として共感せずにはいられない連作でした。
<一冊を通して>
同世代の歌人ですが、核心については直接語らず感覚を丁寧になぞるような表現方法が個人的には新鮮でとても好きでした。
まるで主体をガラスの器と捉えているかのような感覚的・身体的に丁寧な表現方法は透明感とか優しい読後感につながっているし、歴史やストーリーを連想させる名詞をアクセントにして豊かな世界観を提示する方法は歌に奥深さを与えています。
一冊を通じて、大森さんの独創的でそれでいて透明感の溢れる言葉の世界に浸ることができました。