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働きながらも学ぶ母の背中を見せること
母である私へ突然、東京への辞令が下りたとき。
旦那も沖縄で単身赴任中。
娘は、待機児童で保育園に入れず、自宅を離れ、実家近くの保育園へ滑り込みセーフで入所したばかり…
なんだかんだでスタートした、我が家の4つの拠点生活(※)。
せっかくのこの機会。私は娘に何かを残したいと考えた。
(※娘が住む京都の実家、東京で働く私、沖縄で働く旦那、大阪の自宅の4つの拠点)
*
娘が大人になった頃の世界は、基本的に女性も一生働くことになるだろう。
そんな娘に私は何を残してあげられるだろう。
単純にお金を残すというのもあるかもしれないが、さして大した額は残してやれないだろう。
ましてや一人娘。私たち夫婦が老後、娘の足かせにならないように、お金は自分たちのために残しておく必要がある。
私は大学を卒業して26年。自分でいうのもなんたけど、懸命に働いてきたつもりだ。
女性初の営業職として飲料メーカーに入社。関西中を営業車で走り回り、働くことの面白さを知った。
職場でも営業先でも可愛がられ仕事に邁進する一方、
「このままではダメだ、もっと成長して魅力的な人間にならないと歳を取ったらお払い箱だ」と本気で悩んだ。
そんな時、幼馴染みがサラリーマンをしながら副業で結婚式司会業を始めていた。彼女からやってみない?と誘われた。
「結婚式は人生の縮図。経験しておいて損はない」
そんな幼馴染みの言葉に突き動かされ、1年間アナウンススクールに通い、本当に結婚式司会者になってしまった。
平日は営業で走り回り、土日は披露宴会場に通いつめた。
もっと新郎新婦らしい言葉を紡げたら、そんな思いで今度は平日の夜、ライタースクールにも通い始めた。
このあたりになると、聞いている友だちは呆れた顔になる。
寝る暇もなく働き、学び、そして楽しんだ。
新しい世界を知るのは、今でも大好きだ。
やがて、29歳近くになり、自分自身の結婚が決まった。悩んだ挙げ句、飲料メーカーを退職。
それからも忙しかった。
コピーライターの先輩の事務所にお世話になりながら、ブライダルプランナー養成スクールへ。
1年後、結婚式大手企業に入社。和風ウエディング会場でプランナーをしながら、新しい会場の立ち上げに加わった。
そしてワイン会社へ転職。ワインスクールに通い、晴れてソムリエにもなった。
振り返ると、なんて忙しい人生なんだろう。
ずっと何かしら動き回って、勉強している。
母は私によく言っていた。「もっとゆったりと暮らせばいいのに。自分でわざと忙しくしてるんでしょ?」
おっしゃる通りだ。きっと私は貧乏性で、欲深い人間なのだ。
そんな私が娘に残してやれることは、なんだろう。
それは自分の姿を飾りなく一番近くで見せることではないか。髪の毛を振り乱し、必死に生きる母の姿を見せることではないか。
いい意味でも、悪い意味でも、娘の一番近くには私というサンプルがある。
娘に働くことの楽しさ、学び続けることの面白さを知って欲しい。
まぁ、彼女にとっては迷惑かもしれないけれど。
母親が単身赴任をする。その選択を取った母の背中をみて、成長した彼女はどう思うだろう。
世間の常識だけが全てではないことを彼女に知って欲しい。彼女の人生の選択肢を広げて欲しい。
「母はいつも楽しそうだ。仲間に囲まれて今日も何か勉強している。大人になるって楽しそうだな」
そう思ってくれたら、それが私から娘へのギフトだ。
だから私もただ単身赴任するだけなんてもったいない。毎週の帰省で疲れ果てている母の背中は見せたくない。
そう、私はチャレンジするのだ。
社会人大学院の門をたたくと決めた。
東京に異動した私は、社会人になって一番リスペクトしている上司と、運良くまた一緒に働く機会を得ていた。
その上司に相談し推薦文をお願いした。また新しい世界を知ることが出来ると、私は小躍りしながら、今日も新幹線に飛び乗った。
*
そこから、想像を上回る2年間が始まった。