スマラン、夜の重たい雨の匂い
INDONESIA
Semarang、2023
現在
Ⅰ
雨だからということが、何か特別な感情を揺り動かしたとは思えない
しかし、その夜、わたしはSemarangの自宅の二階の寝室の窓辺で、陶然と飽きることなく、分厚い濃紅のドレープ地のカーテンの隙間から、雨に煙った夜の住宅街の景色を眺めていた
住宅街のオレンジの街灯が細かな雨を闇から切り取るように照らし出し、隣の家の屋根付きのガレージの下では、小さな交流がある顔なじみの老女がロッキング・チェアに揺られながら乳児を胸に抱き、両手で包み込むように優しくあやしている
今夏生まれたばかりの老女の孫の、とても小さくてとても可愛い、まるで何かのぬいぐるみを思わせるような女の子の赤ちゃんだ
真夜中によく彼女の泣き声が聞こえてくるが、そのようなことはわたしは一切気にならない
むしろ、暗闇のベッドの中で柔らかく微笑んでさえいる
わたしの小さな姪っこたちも、この世界に無事に産まれて来てくれたときはまるでそのことを大きく世界中に宣言するかのように、泣きに泣いたものだ
あるいはもしかしたら、この世界への最初の扉は激しく泣くことによってのみ開かれるのかもしれない
なぜなら対照的に最期の死の扉は、すべからく深い沈黙をもってのみ開かれるからだ
ひとは決して泣きながら死ぬことはできないのだから、存外、真実を穿っているのかもしれない
お隣さんの小さな彼女、名前は何といっただろうか
窓から見下ろしていると、彼女は泣いたり笑ったり、小さなあくびをしたり・・・
どれだけ見ていても飽きなかったが、雨音しかしない夜のこの部屋の沈黙が次第に耐え難くなってきた
部屋も冷えすぎている
踵を返し、小さな音で音楽をかけて、ACの温度を上げてからライティングデスクに無造作に置いておいたA4サイズの紙の束を取り上げる
全部で何枚あるのだろう・・・
10枚・・・いや、15枚
それは内容は全て同じだが、最初の5枚は原文であるスペイン語(バスク語と一部はベルベル語を含む)、次に数種類の翻訳ツールを介したその英訳、最後の5枚はそれをさらに自分で砕いて和訳した、ある電子メールをプリントしたもので、それは”スペインの母”から送られてきた、昨年のわたしの43歳の誕生日を祝福してくれる長大な内容のものだった
当時、すでにこの翻訳が難解な電子メールは「解読」して何度か読んでいたが、この日、ふと思い立って帰社時に会社のコンピューターから自分の個人用のメールアカウントにアクセスし、プリントアウトしたものをバッグに詰めて帰宅したのだ
”スペインの母”
彼女はもちろん実母ではない
血縁関係はなく、養子関係もない
もちろん、占い師でもない
そして、享年76歳
つい先ごろ、彼女もまた、深い沈黙をもってこの世界の最期の死の扉を開け静かに退出していってしまった
彼女の埋葬後、ほとんど間をおかずにわたしに連絡をくれたのは、彼女の夫のLuisだった。78歳
夫妻には子供がいない
流暢な英語を操ることができるLuisからの、コンピューターから送られてきた長い電子メールの冒頭には、簡単な挨拶の後にこう記されてあった
——”Rita, she went to heaven peacefully.”
リタは安らかに天に召されていったよ
——”It was a very peaceful death.”
とても穏やかな最期だったんだよ
——”Rita, she really wanted to see you."
きみにはとても会いたがっていたが——
電子システムで文字に置き換えられた訃報
肉声である電話にせよ、無機質なメールにせよ、訃報はいつもその形状をまるで新種の軟体動物のように変え、唐突にわたしたちの日常生活に現れ、中空に巨大な真空状態を生み出しては、宇宙の法則と物理の力を超えて正確に時を止める
その訃報を受け、Luisに返信のメールを送信した数日後
ふと、Ritaが以前わたしに送ってくれたあの古文書のように解読が難しかったバースディ・メッセージを読み返したくなったのだ
わたしは照明を落としてあった階下へ下り、灯りはつけずに冷蔵庫を開け、旧市街で買っておいた安物のカルベネ・ソーヴィニョンを取り出し
牛乳瓶のように厚手で安価なグラスに注ぎ、そこに小さな氷をいくつか入れる
それを持って二階の寝室へ引き返し、寝室の照明をダウンライトに切り替えて、机の上の読書灯をつけ、”スペインの母”ーRitaがわたしに送ってくれた、長大で難解、数種類の言語が入り混じりしかも口語調で書かれた、しかし、祝福に満ちたバースディ・メッセージの最初の一行目からあらためて読み直す
読み始めると、そのオフィスでプリントしただけの無機質な白い紙には
なぜかなつかしいスペインの太陽の匂いがした
冬の匂いもした
すると不思議と、それに導かれるようにしてあのよく冷えた
”Cerveza con Limón”の味までが舌に甦ってきた
あのときLuisとRitaの夫妻と初めて出会ったときに一緒に飲んだ、あのレモン・ビールの舌触りだ
SPAIN
Pamplona、2018-2019
過去
Ⅱ
2018年から2019年にかけてわたしが赴任したのはスペイン北東部の小さな田舎町だった
人口20万人足らずで特に見るべきものは何もないが、町は綺麗に「新市街」と、中世から続く石畳の「旧市街」に分かれ、夏のSanferminの期間中は世界中から観光客が押し寄せ、人口が一時的に100万人にまで膨れ上がる、世界的に見ても異質な町のひとつだ
その当時、わたしはまだ赴任間もなく、一ヶ月のホテル暮らしを終えてようやく新市街の高層アパートメントに入居して、ほっと安心すると同時に、実は苛立ってもいたのだ
その理由は今でも鮮明に覚えていて、直近にキリスト教のカトリックの祝祭、Semana Santa、つまり聖週間の大型連休が迫っていたのだ
連休自体はもちろん歓迎すべきことだが、当時は会社全体が期末の繁忙期で仕事が忙しかったこともあり、スペイン人800人に対して僅か3人しかいない日本人の同僚に遠慮して、連休を返上しての出社を考えていたのだ
だがもちろん、赴任間もない頃なのだ
会社全体は忙しくても、まだ本格的な業務に入っていなかったわたしは実は忙しくもなんともなかったのだ
そうこうしているうちに、そのSemana Santaがやって来て、最終的に日本人は全員休むと決まったが、それではもう「遅い」のだ
このとき初めてスペイン人の民族性に触れることになったが、かれらはことの他休暇を大切にする民族なのだ
それも、家族とともに過ごす休暇を
つまりPamplonaを初め近隣の都市のホテルはすでに予約で全滅、Guest Houseも同様に——
しかし残念でならなかったのが、当時は自分で車を運転して通勤していたので、その気になればバスク地方の世界最大の美食の都Sansebastianも、フランス国境を越えて伝統的なワイナリーが立ち並ぶBordeauxにも行くことができたのだが、宿泊する場所を確保することができなかったので、見送るより他がなく、わたしには珍しくも苛立っていたのだ・・・
Pamplona、SPAIN.2018-2019
過去
Ⅲ
Semana Santaの初日、ピネレー山脈の麓に位置するPamplonaの三月の冬の空は澄み切って高く、寒かった
結局、近隣の街の旅行には出かけることができず、いつもの週末のように旧市街でいわゆる「バル巡り」でもしようと思い、一眼レフと数種類のレンズを準備して徒歩で旧市街へ向かうことにした
Pamplonaの旧市街は、他のスペインの都市と同じく中世から続く石造りの古い伝統的な建物と大小無数の教会がまるで迷宮のように複雑な路地に張り巡らされ、スマートフォンを使ったとしても、なかなか目的地に着くことができない
わたしはそれまでにすでに旧市街は何度か散策していて、「バル巡り」の際にも小さなルーティンのようなものができ始めていた
とにかくまず最初の一軒目は旧市街の入り口にあるEL GAUCHO、ここで名物の、バゲットの上に少量の塩をまぶしただけの厚手のフォアグラを乗せたピンチョス(一品料理)を食べながらスペインのビールEstrellaを一杯飲むのが習慣になりつつあった
地元のひとで賑わうEL GAUCHOの店の造りは、まるでうなぎの寝床のようで、異様に細長く、極端に狭い店で、店の床はスペインのバルの習慣のひとつでもある、使用したナプキンや食べ終えた海老のしっぽなどで溢れかえっている
スペインのバル定説のひとつとして、こうして「床が汚れているバル」こそが、繁盛店の証左で、加えて、地元客でごったがえすこの狭い造りの店でカメラでモノクロームで無作為にシャッターを切ると、なかなか雰囲気のある写真が撮れるのだ
そして、この日、カメラを首から下げて小さく覚悟をきめてお店に入ろうとしたときに、わたしが愛してやまないLuis&Rita夫妻と出会うことになるのだ
Pamplona、SPAIN.2018-2019
過去
Ⅳ
そのときのわたしの服装は今でも克明に覚えている
狭いEL GAUCHOの店内では、地元客ですし詰め状態なので、身体と身体がぶつかって衣類に飲み物がかかったり、床のゴミで滑ってしまうことがあるので、わたしは汚れてもいいNORTH FACEの防水仕様のアウトドアジャケットを羽織っていたからだ
よし、入るか
小さく覚悟をきめて店内の入り口を潜ろうとしたときに、ふと、テラス席にいた老齢の女性がわたしの右腕をがっちりと掴んだのだ
咄嗟のことでわたしは驚き、立ち止まってその老女の方を見ると、老女はわたしの顔をじっと見つめ、なにやらぶつぶつと呟き始めた・・・
それはスペイン語なのかどうかは自信がなかった
職場では流暢なスペイン語を操る日本人女性の通訳が2名いたこともあり、最終的にはわたしはほとんどスペイン語は習得することはなかったが、この老女の言葉がスペイン語ではないということは何となく理解できた
後に判明することになるが、彼女の言葉はスペイン語、しかもバスク地方で使われるバスク語だったのだ
わたしはかなり困惑したが、相変わらずこの老女はわたしの腕を離さず、しっかりと強く握りしめ何かを言い続けている・・・
ちらりとテーブルを見ると、すでにワインのボトルが数本空いている
スペイン人は朝からワインを嗜む民族なのだ
同僚たちとランチに行くと、彼らは水で薄めたワインを飲み、夕方に飲み、夜にもさらに飲み、とにかく一日中ワインを飲んでいるのだ・・・
この老女・・・やれやれ・・・酔っ払いなのか・・・
そのテラス席には老齢の二組の夫婦、計4名で夕方の一杯を楽しんでいるようだった
わたしは苦笑しながらもどうしていいのかわからず困っていると、その老女の隣の席にいた、やはり老齢の男性が英語で老女が何と言っているのかを通訳してくれた
——”あなた・・・中国人じゃないわね・・・韓国人でもない。日本人なのかしら・・・”
わたしは困惑しながらも小さく頷くと、彼女はさらにこう続けた
——”そうね・・・日本人・・・あなたの顔立ち・・・いや・・・雰囲気・・・とても気になるわ。なぜだか・・・目が離せないの・・・”
これにはさすがにわたしも驚いた
女性にナンパされたことなどこれまで一度もなかったからだ
しかし、なぜだか理由はわからないのだが、わたしは年上の、しかもかなり年上の女性の気を、意図せずに磁石のように強く引き寄せてしまう不思議な性質があるということには、人生のその時点では気がついてはいた
それは男女の恋愛の感情ではなく、もっと別の感情、もっと親密な、もっと温かい・・・
わたしには何か、年上の女性の、母性のようなものを刺激する何かを持っているのだ
通訳をかってでてくれた老齢の男性は苦笑しながらも通訳を続けてくれ、テーブルにいた他の2人もにこやかにわたしを見つめている
老女は続けた
——”目が離せない・・・放っておけないというか・・・なんというか・・・まるで家族のような・・・わたしの、子供のような・・・”
わたしは改めてその老女の顔をしっかり見ると、不思議と吸い込まれるような気持ちを感じ、次に茫然とし、そして小さくあっと声を上げそうになった
この老女——
わたしの日本の福岡の、今も健在でピンピンと働いている実母にそっくりなのだ・・・
まるで「母をスペイン人にしたらこうなります」、だ
まさか——
このようなことが——
しかもこの衝撃は二重の衝撃だった
相手はわたしを息子のようだと感じ、わたしの方も相手を母親だと感じている・・・
このとき出会ってまだ10秒ほど
今度はわたしが口を開く番だった
——”もしもよろしければ、わたしもご一緒させて頂いてよろしいでしょうか”
老女はすぐにウェイターを呼び寄せて、椅子を一脚持ってくるようにお願いした
Pamplona、SPAIN.2018-2019
過去
Ⅴ
もちろん、そのときの老女が先ごろ旅立って逝ったわたしの”スペインの母”ーRitaであり、このとき通訳してくれたのが彼女のご主人のLuisだ
これは後日談になるのだが、一時帰国で福岡の実家に帰省した際、久しぶりに家族が集まった夕餉の席で、わたしはこの夫妻と一緒に撮影した写真を見せながら、やや興奮した口調で家族全員にあの日の出来事を話した
それについて母は、写真を見ながら「ぜんぜん似ていない・・・」と答えたが、妹と弟はしばらくの間じっと写真を見つめながら
「お兄ちゃんのいいたいことは・・・わかるような気がする」だった
この広大な世界には、自分に似ている人が三人はいる、と何かで読んだ記憶はあったが、海外で、それも初対面で、お互いがお互いを「家族」と瞬間的に認識するような話は聞いたことがない・・・
このような不思議な出会いというものも、確かにこの世界には存在するのだ
後編へ続く
後編