この世の終わ りも 怖 くな いみ た い
約六か月前に掲載した作品を改題し、内容を再編集し再投稿
Pamplona, SPAIN
パンプローナ赴任時の数年前の記憶
わたしにはこれまでこの10年で、ベトナムでの小さな赴任経験と、さらに小さな、スペインでの赴任経験がある
いずれの国でも、例えば食あたりや風邪で現地の病院にかかったことはあるが、その夜はちょっと勝手が・・・違った
結論から書けば夜中に救急病院へ搬送され、首を7針縫い、キッチンの床は血まみれに・・・
要するに日本ではない場所で、緊急事態が発生したのだ
朦朧とした意識で、キッチンの床から立ち上がったとき、まず視界に入って来たのは血だった。それに、砕け散ったガラス
ガラスはキッチンカウンターで使う珈琲メーカーにミネラルウォーターを供給させる為の水差しで、大型で分厚い。それが粉々——
血は——
どうやら、喉元から溢れ出していて——
ふ らつく 足で、キッチンの壁に もた れかかり、そ のまま玄関へ
玄関は5畳程のスペースがあり、壁面には大型の鏡が備え付けられている
そ こに映 った自 分の 姿——
上半身は裸で、首元から血が止めどなく流れ落 ち て・・・
白い バスタ オルがあ っとい う間 に血に染め 上 がり・・・
誇張でも潤色でもなく、一瞬、死が脳裏をよぎった——
患部は首/大量の出血/異様な寒気
インフルエンザで数日寝込み、ようやく立ち上がることができるようになり、ふらつきながらバスタブに熱いお湯を張ってゆっくり浸かるも・・・
やはりまだ体力が戻っていなかったのだ
ここスペインで処方された薬も、あるいは日本人のわたしには向かなかったのかも知れない
意識を根こそぎにされるような、強力な睡眠作用を伴う超強力な薬で——
湯上りに、キッチンの冷蔵庫に入れておいたミネラルウォーターを飲もうとグラスに移し替えるときに 気 を 失 い——
前かがみに倒れた際に、その水差しが砕 け——
そこに 首か ら・・・
突 っ 込ん で・・・転 倒 し——
まさか・・・死ぬのか・・・こんなところで・・・
状況も悪かった
湯上りで身体が火照り、とにかく血が止まらないのだ
そして出血量に比例して砂時計のように足元から力が抜けて行くのが体感としてよくわかる
おまけにここは高層アパートの8階で、開け放っていたリビングの窓からの冷たい風がさらに体力を根こそぎにしていく——
異様な寒気/閉めに行くことは不可能
まさか・・・死ぬのか・・・こんな事故で——
この 世の終わ りは・・・ス ペインの高 層アパ ー ト
こ の世 の終 わり は 怖 い
ここが日本ならば、即座に救急車を呼べばいいが、そもそもスペインの救急車は何番?
仮に番号がわかってかけても、一般的に、マドリ―やバルセロナのような観光地でない限り、スペイン人は英語を話さない
仮に英語が通じても、この状況下でわたしの英語力での状況説明は不可能
だから即座に通訳兼秘書のKYOKOさんへ電話——
いや、待て。待てよ
数時間前にKYOKOさんと電話で話したとき
”今日はこれからダンス教室なの♪
るんるん♪”
って言 って いたは ず
K YOK Oさ ん——
案の定、電話を掛けても通じなかったが、しかしこのことが逆にわたしをいくばくか冷静にさせた
身体中の震えは止まらなかったが、この状況下で、ダンス教室のくだりを思い出すことができ、多分、捕まらないかなと推測できるということは、少なくとも意識の混濁や思考力の低下はないはず。そして錯乱もしていないーOK
そしてもうひとりの秘書、モナさんには電話をかけても無駄だということもわかっていた
わたしと同い年で日本人とスペイン人のハーフのモナさんは、気質もスペイン人同様で、オンとオフの切り替えがはっきりしていて、しかも最近できたスペイン人の恋人とののろけ話を嫌になるほど聞かされていたので
金曜日の夜はリオハ・ワインでも開けているに違いない
モナさんが電話にでない確率——寒気がするほど高かった
再び玄関に戻り鏡の前に立つと、血は止まらないが携帯で傷口と床に溜まった血を撮影し、衝撃画像をWAでK YOK Oさ んへ送 信
——頼 む、気付 いてくれ K YOKOさ ん
だんだんと立つこともま ま な らず、壁に背 を預 けたま まず るず ると 落ち てい く・・・
喉元にどのように動脈が走っているのかは知らないが、恐らくざっくりいったのは静脈か
程なくKYOKOさんから着信があり、もの凄い勢いで
さわまつさん、生きてますか!?
生きてますと答え、状況を簡単に説明するとそれからのKYOKOさんの判断は迅速で適切だった
そして、そこからは深夜の大車輪だった
アパートから車で数分の救急病院へ、KYOKOさんの車で連れて行ってもらいーこれにも改めて驚かされたが、会社は緊急事態を考慮して病院の側のアパートを提案してくれていたのだ
すぐにドクターが駆けつけてくれて、初診ー傷口の確認と血液検査
やはり、動脈には異常がないらしく安心すると、今度は別の恐怖が襲ってきた
まさか・・・縫うのか・・・
初めて乗った担架で病院の天井の蛍光灯を見ながら右折と左折を繰り返し、処置室へ
ここでもKYOKOさんがいなければ、ドクターと話すことすらままならないー結局のところ海外で働いていても、それは自明だが、誰かの助けがないと生きられないのだ
そして・・・どこの国でもそうだが自分一人では結局のところ何もできないのだ
KYOKOさんは言った
”さわまつさん、生きてる?震えてるけど、寒い?
どうやら縫うことになるらしいわ。傷はそんなに深くないけれど、傷口が大きいので何針か縫うみたいね”
神よ——
恐怖で担架の手すりを握りしめていると、程なくスペイン人の女医が現れた
この先生がしかし、スペイン人女優のペネロペ・クルスに似たもの凄い美人の先生で、一瞬傷の痛みを忘れた
処置をされている間、目を瞑り奥歯を噛み、脂汗を流しながらペネロペ・クルスが出演した映画をひたすら思い出し、いよいよ麻酔なしの縫合が始まる際は、わたしは担架の手すりを強く握りしめていて・・・
狙ったわけでは決してないのだが、縫合の際はペネロペ先生の胸がずっとわたしの、その手すりを握りしめていた手に当たっていたので、さらに痛みが遠のいた
手すりと胸の間に、わたしの左手は挟まれる形で全く動かせなかったのだ
喜べば良いのか、それとも苦しめばいいのかの判断が、当時のわたしにはつかず、何をどう表現すべきかわからない切ない気持ちになったのも、おそらくはこのときが人生で初めてだったのかもしれない
天国と地獄の距離って、意外に近いのかも知れないと思ったりもした
全ての処置を終えたのが深夜3時過ぎだった
日本でも救急病院にはかかったことがなかったが、ここスペインのパンプローナの病院には、深夜にも関わらず無数の救急患者たちが運び込まれていた
交通事故、喧嘩、急病、麻薬中毒、麻薬過剰摂取・・・
見ていて飽きることがない人間模様がそこにあったが、とにかく深夜まで付き添ってくれたKYOKOさんのことが気になり、言葉に尽くせぬ感謝の気持ちがあった
KYOKOさんと深夜の救急病院のエントランスに立ち、冷たい風を浴びながら聞いてみた
——KYOKOさん、本当にありがとう。今回のこの御礼は一体どのようにして返せばいいだろうか・・・”
そしてこの夜は、治療を待つ間にKYOKOさんと多岐に渡って様々なことについて話し合うことができた
KYOKOさんは元々は大手旅行会社の添乗員だったということ
そこで知り合った日本人と恋に落ちたということ
そして、本人いわくその彼に”大失恋”を経験したということ
スペインの太陽に魅せられたということ
KYOKOさんのスペイン人のご主人のこと
その間に生まれた小さな息子さんのこと
リオハ・ワインの季節ごとの最高に美味しい銘柄のこと
ご自宅の家庭菜園が今年は好調だということ
ジャガイモのこと
花のこと
最後にKYOKOさんは、小さくウフフと笑って言った
”そんなにしんみりしないで。とにかく早く治すことね
完治したら一度うちに招待するから、ご飯でも食べにおいでよ”
ペネロペ先生は天使で、KYOKOさんは大天使だ
この出来事からすでに数年を経ているが、鏡で見てもどこを7針も縫合したのか見分けがつかない
ペネロペ先生の腕が確かだったのか、それともそもそもの傷が浅かったのかは今ではもうわからない
加えていえば、スペインは税金が高い分、当時は医療費はゼロだった
これが——
少なくともわたし自身が感じた、これまでの人生の中で最も<死>を意識した出来事だった
もちろん、結果的に患部が首だったとはいえ、7針程度の縫合で済んだので大袈裟なのは認めるが
ただ事故直後は意識が朦朧としていたこともあり、多量の出血に怯えてしまっていたこともあり、思考がまとまりを失っていたことも間違いない
くわえて、そこは真冬の異国での出来事でもあった
走馬灯も走らなかったし、その時点で父は他界していたが、母や兄弟
そして当時は日本に恋人もいたが、彼女のことを考えることもなかった
今こうしてふり返ってみると、いつか、やがて、確実に訪れる<死>とは、意外と、明確な<死への意識>を持たない、あるいは、持てないままに死んでいくような気がしてならない
ぼんやりと、ゆっくり流されるようにこの世界から退場していくことになるとすればそれはそれで幸せなことなのかも知れない
先だって急逝されたBUCK-TICKの櫻井敦司も、ステージ上で体調の異変に気づき、そのまま三曲を歌い上げ後に、ほとんどステージ上で絶命したに違いないと報じられている
しかしかれもまた<死への意識>は持たない、あるいは、持てないままに死んでいったように思える・・・
しかし
不謹慎なのは認め、非難も受けるが、ロック・スターとしてのかれの死に方は、これ以上ない、ほとんど完璧な死に方だったようにも思える
それはかれの夫としての死ではなく、また父としての死でもなく、日本のロック史に名を残したひとりのロック・スターとしての死を、そういいたいのだ
凡夫には決して真似することができない人生の完結性が
あまりにも鋭く、あまりにも強く輝き
他者を一切受け付けないような孤高を思わせるような死に方だったと思えるからだ
心より謹んでご冥福をお祈りいたします
本当にありがとうございました
おしまい
BGM
残骸
BUCK-TICK
<小さなお知らせ>
前回告知させて頂いた今後の予定の件ですが、引越しが思わず長引いてしまったことと、櫻井敦司の訃報、そして日本からあるゲストが来て、共に世界遺産の古都・ジョグジャカルタへ一泊旅行に出かけることもあり、予定をいくつか変更してお届けすることになります
よろしくお願いいたします
NEXT
2023年11月12日(日) 日本時間 AM:7:00
短編/紀行文/ジョグジャカルタ
”雨のマリオットホテル”
END
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