レイク・チューリッヒ | 輪舞する、旧市街
レイク・チューリッヒ | 04
輪舞する、旧市街
ラッパーズ・ウィルの大聖堂をあとにしたわたしたちは、再び鉄道を使ってチューリッヒ中央駅のホームに降り立っていた
途中、車窓からの風景で市内の人々の多くが傘を差している光景を見てきたので、雨でも降っているのかと思いきやそれは霙で、日中の寒さに優しさ感じるほどの、夜の強烈な冷気がホームに渦巻いていた
これが厳冬期の夜のチューリッヒか——
雪と氷の国
つい数日前までパリにいて不思議と寒さは感じなかったが、そこから国境をひとつ越えただけで、ここまで気温が下がるのか、ここまで氷漬けにされるのかと身震いしながら痛感させられ、そしてわたしはひとりで苦笑していた
それは、つい数か月前までは年中茹だるような暑さのホーチミンで長く働いていたことがまるで夢だったのかと思えるほどの、だからここチューリッヒの、残忍で、震え上がるような冷気を身に纏うことになった自分を思い、一人で笑ったのだ
わたしたちは肩を並べて階段を登り改札口へ向かいながら、わたしはふとその場で思いついたことを彼女に訊ねてみた
夏と冬ってどっちが好き?
彼女はその唐突な質問に少し驚いたようだったが、一瞬の間を置いただけで
すぐにこう答えた
夏ね。
夏、夏、夏!
意外な答えだなとわたしは思った
それはもちろんいうまでもなく、彼女は自らの意志で、この一年の半分が雪と氷で閉ざされる国に根を下ろし生きているからで、冬が好きでないととても暮らせそうにはないと思えたからだ
そのことを話すと彼女は柔らかく微笑んで、結局どうしても、ないものねだりにはなるのよと答え、逆にわたしに同じ質問をしてきた
わたしが冬だと答えると、彼女はほらね、というように笑い、こういった
きみはヴェトナムが長かったから、尚更今は冬が恋しいのかも知れないね。
そしてきみのヴェトナムからのSNSの投稿、あれは本当に面白かった。
素敵な写真と、とても読みやすい清潔な文章、そして面白そうなひとたち。
わたしはあまりあの手のツールにはあまり興味を持てなくて
それでもアカウントだけは持っているけれど・・・
いいねやコメントもほとんど一切しないのだけど、きみの投稿の隠れファンのひとりではあった。
次の投稿はいつなのかな、と毎日チェックするくらいにはね。
これには驚かされた
おれのSNSが?
そしてなぜだか、顔から火が出るくらいに恥ずかしくもあった
何を書いて投稿してたっけ・・・
彼女は続けた
本当のところ、いつか長いホリディの際に一度ヴェトナムに旅行に出かけて
きみに会えればなとは考えていたの。もちろん、きみさえよければだけど。
だから、実際に航空券とホテルの価格を調べるスケッチは何度かしたのよ。
わたしは改札へと延びる長い通路の途中で急に立ち止まり、驚いて彼女にこう訊き返した
つまり、今回の”奇跡の再会 IN ZURICH”、の他に
”奇跡の再会 IN HO CHI MINH"の可能性もあったってこと?
わたしたちは今回の再会を、繰り返しそのような呼称で呼び合っていたのだ
彼女はわたしの右腕をとり前へ進むように促した
わたしたちはラッシュアワーの巨大な渦の、その渦中にいたのだ
そしてこう続けた
もちろん、その可能性も十分にあった。
だけどそうこうしているうちに、きみはヴェトナムを離れてしまい、かなり残念に思っていた矢先に・・・こうしてチューリッヒにやって来てくれた。
チューリッヒ中央駅を出ると、彼女はごく自然なしぐさでわたしの左腕を自分の右手で絡ませて組み、そのままラッシュアワーの人ごみの流れに沿うようにリマト河にかかるヴァルヒェ橋を渡って、旧市街へと延びる、ヴァインベルク通りをふたりで歩いた
この界隈が明日以降のチューリッヒ散策の起点となり、繰り返し、繰り返し何度も歩くことになる
彼女はヴェトナムの話を訊きたがった
ねぇ、ホーチミンでの日々の話を聞かせてくれない?
わたしとしては逆にここチューリッヒでの彼女の生活について訊きたかったが仕方ない
定冠詞のように、”喧騒渦巻く”と冠される大都市、ホーチミン
人々は穏やかで真面目で、器用で、たくましく、陽気で、男性よりも女性の方がよく働き、街中の通りという通りには何百台ものバイクがまるで生き物のように蠢き、街全体に巨大で無尽蔵なエネルギーが満ちているのがわたしが見てきたホーチミンだった
彼女はいった
最近とみに、ここヨーロッパでもヴェトナム人の女性のファッションモデルが台頭してきているけれど、彼女たちは独特の美しさを兼ね備えているようにわたしには思えている。褐色の綺麗な肌に、豊かな黒髪、切れ長の瞳。
同じアジア人としては括れないような独特で、素敵な輝きを放っている。
わたしはそうしたヴェトナム人のファッションモデルについては知らなかったが、ヴェトナムには、日本と同様にいわゆる「美人の名産地」が国土の各地に点在していることは間違いなかった
首都ハノイに代表される高地の冷ややかな雨と霧に濡れる「北部美人」、かつてのグエン王朝、その王がヴェトナム全土から美男美女のみを集めて身の回りの世話をさせ、その美しき従者たちが混合し、DNAとして子孫に遺したとされる、古都フエの「中部美人」、そしてホーチミンのさらに南に広がる肥沃で光輝くような大地の中で生まれてくる、カントーの「南部美人」
それらの「美人」の共通した最大の特徴は、その切れ長の瞳だった
まるで冷たい水に濡らした鋭利な刃物のような、全てを見透かすような
一種独特の鋭さを具えているようにわたしには感じられたのだ
そしてそうした「美人」が、間違えて当時わたしが勤めていた日系の家具製造工場に入社しようものなら、いつもちょっとした騒ぎになった
そうした情報に常にアンテナを張り巡らせていた、目ざとい「三人の長老」
の包囲網に引っかかると、長老たちは即座に仕事を放り投げて我先に動いた
おれの専属秘書にするけん、お前らは絶対に手を出すな
とか
その「美人」がいる工程が業務に追われ過度の負担がかかればこうだった
他の工程の暇な連中ば搔き集めて、すぐにXXXちゃんの応援に走らせろ!!
そしてそれらを真顔でいうことができるのが「三人の道化」の生態だった
わたしはそうした話を断片的に、そしていささか誇張して面白おかしく彼女に話すと彼女はくすくすと笑い、そしてこう続けた
わたしもその職場で働いてみたい。
そしてきみは?
まわりにはとても素敵なヴェトナム人女性が多かったように思えるけれど。
その当時勤めていた会社の、「就業規則」にはもちろん掲載されてはいなかったが、暗黙のルールとしてそうした女性関係は「本気ならば認める」というところだった。つまり逆に、「遊びは厳禁」。きっと世界中の日系企業がそうなのだろうが
残念ながらわたしは、そうした素敵な女性とは職場では巡り合えなかったが実際に職場結婚をする同僚もいた
しかしこのわたしも何度か「デート」には出かけたことがあった
それは職場の女性ではなく、当時会社が経営していたホーチミン一区にあった和食レストラン「赤とんぼ」の女性スタッフたちで、ほとんど毎晩その店で食事をしていた中で、店が暇な夜などは日本語を学びたい彼女たちにわたしは即席の交換教授となり、「授業」の合間に様々な話しをする中で、ある日親しい女性スタッフ二名に甘えるようにこう誘われたのだ
たまには遊園地でも連れていって下さい!
考えてみればわたしはこの半生で遊園地には行ったことがなかった
家族旅行や恋人とのデート、そのどちらもで行ったことがなく、またちょうどその頃、ホーチミン近郊にそうした一大テーマパークが操業を始めたばかりだったので、ふと、ちょっと行ってみようかと思い至り、その二名を連れて翌日の日曜日の朝にお店の前で待ち合わせたのだった
わたしと同級生の彼女は夕食をとるために旧市街へ向かいながら、途中からはトラムを利用して二人で並んで吊り革にぶら下がっていた
彼女はいった
それでそれで?
素敵な美人ヴェトナム人女性を、きみは贅沢にも二人も引き連れて行った
そのデートはどうだったの?
最悪だった
もちろん、いうまでもなく彼女たちに非があるわけでは決してなく、わたしはこの時、自分にはいわゆる「絶叫マシン」には耐性が一切ないということを涙目と震える両脚をもって理解することになったのだ
それがさ、ジェットコースターのチケットを買って列に並んで、次第に順番がまわってきて・・・ずいぶん古めかしい錆の浮いた金属製の車体だなと思って近づいてよく見ると、漢字が刻印されていて・・・日本語で・・・つまり要するに、日本から輸入した「中古品」でさ・・・。
彼女はこの話の行きつく先が見えたというように、明るく笑った
結局、ジェットコースターを下りた後は、そのふたりのヴェトナム人女性に両脇を抱えられる始末でさ、おれを見て爆笑していたよ。
おまけにその日以降はそのときのおれの様子を、両足をガクガクさせた物真似までされたしね。
もう、例え日本であれヴェトナムであれ、もう二度と乗ることはないって誓ったよ。
しかし基本的なインフラが弱いヴェトナムで、例え信頼できる日本製であれ「中古のジェットコースター」に乗るのは、おれには精神的に怖すぎた。
彼女はもう一度声をあげて笑った
夕食は彼女がたまに自分自身への「ご褒美」として使っている古いレストランに案内してくれるとのことだった
旧市街のブルンガッセ通りの右手に、リマト川を挟んだ向こう岸に美しくライトアップされた聖ペーター教会の屋根が覗いている
石畳の路地をいくつか曲がるとそのレストランの入り口が見え、いかにも高級そうな、そして重厚な木製の巨大な扉があった
パリで長期でお世話になった宿の、日本人女性の管理人からは、いかにここ
スイス、それもチューリッヒの外食代が高くつくのかは十分聞かされていた
”世界最悪レヴェルなのです!”
スタバのグランデで約1,200円、ビッグマックのセットで約2,500円
そしてお店のレベルに関わらず、たとえば最もシンプルなトマトと大蒜を使用しただけのパスタ、ポモドーロの一皿で約3,000円から、つまりランチのごく一般の平均価格が、その一皿に飲み物をつけて約4,000円という、わたしの想像を大きく上回るのがこの国の外食事情でもあった
そうした開いた口が塞がらない事情を知りつつ、このような老舗を思わせる重厚な店構えを見て怯まないわけがなかったが、ここが男のツラいところ
わたしは彼女にことさら軽い口調でこういった
昨日泊めてくれたお礼を兼ねて、ここはおれが払うから好きなものを食べて
本来こういう台詞は、女性とお店に入る前に言うべきではないのかも知れないが、そうしたつまらない事情は、逆に事前にすっきりさせて食事をしたほうが美味しいのかも知れない
それにわたしは、決して資金がないわけでもなかった
バックパッカーにせよ何にせよ、期限を決めていない旅に出ていたのだ
本来、わたしは慎重な性格でもあるし、ヴェトナムを離れる数年前から支出を出来る限り抑えて、この旅のための「軍資金」を捻出していたのだ
旅に出てそれは増えることはなく、目減りしていく一方ではあったが、資金面で苦しいのであれば、旅を切り上げて帰国するという自由さは旅の以前からすでに獲得していたのだ
わたしの言葉を受けて、彼女はにこやかに笑い
そしてこういった
まさか!
古い同級生が来てくれたのに、ご馳走になろうなんて全く考えていないよ。それも、相手がバックパッカーなら猶更ね。
きみも、逆の立場だったら間違いなくそうしてくれるでしょう?
だから何も気にしないでいいから、好きなものを好きなだけ食べて。
何でも美味しいのよ、ここ。
そして組んでいた腕を解き、彼女は木製の扉を開けた
お店の内部は外観よりもさらに重厚で、ローズ・ウッドをふんだんに使った総アンティークを思わせるテーブルとチェアに、白とゴールドの食器がすでに各テーブルに並べられ、それらが小さな蝋燭の火に反射しては輝いていた
高級店なのだろうが、温かくて居心地の良さそうなお店だった
彼女と窓側の席に進むと、すぐに給仕係の女性が現れてまず彼女のコートを手に取って、チェアを引き、次にわたしの為にそうしてくれ、これまたまるで古い歴史書のような大判のメニューを微笑みながら手渡してくれた
メニューを開くもドイツ語のみで英語の併記は一切なし、写真もなし
わたしは早速メニューを閉じて、オーダーはもちろん彼女に任せることにした。彼女が自分への「ご褒美」に、いったいどのようなメニューを頼むのかが気になったからだ
彼女は手慣れた様子で給仕係に、二人前づつのサラダとパスタ、そして一人前の肉料理をオーダーし最後にグラスワインの白を一杯づつ頼んでくれた
早速運ばれて来たスイス・ワインの白で乾杯し、一口飲むとそのキリリと冷えてやや酸味のある味が驚くほど美味しかった
わたしはワインの品評はできないが、それでも敢えて品評するのであれば
”真冬に美味しい白ワイン”というところだろうか
とにかく美味しかった
次に、新鮮なタコやイカが入った「温かいサラダ」が運ばれてきて、それももちろん美味しかったが、実はこの日この時、わたしには一切食欲がなかったのだ
それは別に体調を崩しているわけでもなく、ましてや料理の高額な値段がそうさせているわけでもなく、おそらくは大多数の人々が一度は経験しているように、こうした大切な人との「デート」では、少なくともこのわたしは食欲がゼロになるのだ。人生でそれほど多くは経験できない
その理由は正確にはわからないが、間違いなく食欲以外の「何か」がすでに満たされてしまっているのだ
その「何か」は、心や、あるいは精神的な希求のようなもので、いずれにせよわたしを形成する最も深い場所にあるのだろうということはわかるが、それが何なのかはわたしには皆目、検討もつかなかった
そのようないささか気障なことを考えていたら、まるでそれをあざ笑うかのような、この直後に最大級の悲劇に直撃されることになってしまった
白い制服を着た女性の給仕係が、流れるような所作でわたしたちのテーブルに置いていった湯気を立てるパスタの皿を見て、わたしは思わずチェアから腰を浮かしかけてしまった
彼女は目の前に置かれたその贅沢な一皿をみて、小さくキャーと声をあげて喜び、これが私のご褒美なのと告げ、早速パスタ・フォークを手に取った
そして同じその一皿を前に、まるで彫像のように動きを止めた男がひとり
彼女はわたしを下から見上げるような、そしてやや不思議そうな表情を浮かべてこういった
ね?どうしたの?
わたしは、これは本当に涙が出るかも知れないという懸念を抱いたまま、静かに口を開いた
ごめん・・・本当にごめん。
おれ、牛乳や乳製品が本当にダメで、このカルボナーラは・・・。
頭の中で思考する際もすでにドイツ語だという彼女も、さすがにこのときばかりは日本語で、えー!と大きく叫び、周りのテーブル客たちが一斉にこちらを振り返った
母親から何度か伝え聞いたところによると、わたしは生後間もない頃はもちろん母乳を飲み、常に母の胸に抱かれては催促していたらしいが、それが少し時が経ち、離乳食に移行する直前の哺乳瓶に容れた、いわば粉ミルクの時代に突入すると、幼いわたしは匍匐前進から、まるで革命の闘志のように力強く立ち上がり母に対して強烈な反発を繰り返していたらしい
母が哺乳瓶をわたしの口に当てようとすると、激しく泣き喚いて鋭く抗議し
またしばらく時が経つと今度はその哺乳瓶を狂暴にも手榴弾のように遠くへ放り投げていたという
それを見ていた若き日のわたしの父は、わたしを抱き上げて高く掲げ
やっぱりおれの子だああ
と声をあげて喜び、その理由はもちろん父も牛乳と、そこから発生する乳製品は一切身体が受け付けなかったのだ
それに激しく困惑した若き日の母は、小さな暴君を抱きかかえて病院へ走りありとあらゆるアレルギー検査を受けさせるも結果は全て、「白」
わが子の好き嫌いを限りなく減らしたい母親の心情としてはごく当たり前の考え得るあらゆる手を使って、つまりシチューなどを家庭料理のメニューに加えるも、幼いわたしは即座に牛乳が入っていることを見破り、文字通り遠くまで「匙を投げて」他の飯をよこせと怪獣のように騒ぎ立てていたらしい
要するに自我が形成される遥か以前から牛乳を「敵視」していたことになる
そしてこの傾向頒布は、わたしの妹と弟には継承されず、あくまでわたしと父のみの限定的な優性遺伝のような資質で、わたしたちは家庭の中で「反牛乳派」の牙城を築き、朝から牛乳をごくごく飲む母や兄弟たちをいつも冷ややかな視線でみては、陰湿にも、そんなに美味しいもんかね、とふたりで呟き合っていたのだ
だから、という言い訳には決してならないのだが、とにかくダメなのだ
トリュフが散らされたカルボナーラの一皿を目の前に、まるで瞬間冷凍されたかのように凍りついたわたしに、彼女はまるで母親のような温かい口調でこういった
ね?いわゆる「食わず嫌い」の可能性だってあるでしょう。
ひとくちだけでも食べてみたらどう?
状況が状況で、相手が相手でもあったので、わたしも勇を鼓してフォークを手にするも、もう、この濃厚なミルククリームの匂いを嗅いだだけで卒倒しそうになり、逆にこうした新鮮なミルクをふんだんに使った料理が好きな人にとっては格別な一皿になるのだろうが、わたしにはどうしても無理で、クリームに触れていないトリュフを一切れ食べただけで、この「ミシュランの星付き」、そしてポモドーロの四倍もの料金がするパスタに全面降伏を申し入れることになってしまった
そして正面の彼女と目が合い、どちらともなく深いため息と一緒に、ごめんねを繰り返すことになってしまったのだ
”真冬に美味しい白ワイン”のグラスが空になると、彼女はワインリストを取り寄せ、熟考した後でドイツ・ワインのフルボディの赤をボトルで一本注文した
わたしの「悲劇のパスタ」はすでに下げられ、わたしたちの目の前にはすでに切り分けられた仔牛のステーキが置かれ、彼女はそれを一切れだけゆっくり咀嚼すると残りの全てを、ね?食べて食べて、とわたしに勧めてくれた
彼女はいった
ねぇ、チューリッヒにはどのくらい滞在するつもりなの?
この時点では正確な日程など組んでいなかったが、おそらくは二週間程度はいるつもりだと答え、もしも都合がつくのであれば週末にはまた会いたいということを素直に告げると、彼女はそれは問題ないけれど、と答えしかしどこか浮かないような表情ではあった
続けてわたしは今夜は市内のどこかにホテルを取り、明日からはおそらくはローザンヌに移り、週末にはチューリッヒに戻ってくるということを話すと彼女は驚いたようにこういった
ローザンヌ?
そしてやや困惑しながらこう続けた
クラシック・バレエでも鑑賞しにいくつもりなの?
それも悪くはないプランなのだが、調べてみるとローザンヌの近郊にはスイスのもう一つの巨大都市であるジュネーブや、その両都市を跨ぐようにある巨大なレマン湖には、その名称だけでどこか旅情を誘う魅力が間違いなくあった
赤ワインがワゴンに乗せられて運ばれてきて、彼女はわたしにテイスティングするように勧めてくれたが、わたしはそれをやんわりと断り彼女に全てを任せた
それはあるいは礼を逸する行為なのかもしれないが、彼女が選んでくれるものに間違いはないのだ。不味いはずがない
もっとも、パスタの選択に関してだけはいささか疑問には思ったが
ふたりで赤ワインを飲みながら主に今後のスケジュールについて話し合った
だが話はすぐに中座した。この赤ワインがとても美味しかったからだ。そして不思議だった。その味の重厚さはわたしのような素人にでも十分わかるのだが、それに対比するように不思議とすいすいと飲めるのだ。ストレスや抵抗が一切なく、しかしがっしりとした味わいの、実に見事なワインだった
給仕の方が注いでくれるタイミングより先に、わたしは彼女のグラスに注ぎ彼女はわたしのグラスに注いでくれ、瞬く間にボトルが空になりかけた
彼女はもう一本同じ銘柄を取ろうかと提案してくれたが、それは断った
わたしは別にここで酔いつぶれても構わないのだが、この日は日曜日で彼女は明日から仕事に行かなければならないはずだ
そして彼女は化粧室へ行くために席を立ち、わたしはその間にテーブルの隅に置かれた勘定書をみて、ほとんど顔から両目が飛び出していたに違いない
その合計金額とはわたしが最前に過ごしたパリでのおよそ十日分、いや、下手をすれば二週間分の生活費に該当する金額で、いうまでもなく案の定赤ワインのボトル一本がすさまじい単価で、全体の50パーセントを占めていた
どうりで美味しいわけだ
そして、どうするべきか
わたしの頭上に光が差し、音もなく天使と悪魔が静かに舞い降りては現れ
まずは自己主張の激しい悪魔の方が先にわたしに囁いた
この状況下だ、仕方ない。
ここは彼女の厚意に甘えて支払いは任せようぜ。
それに対して天使が極めて簡潔な反論をした
男として恥ずかしくないの?
結局わたしは天使の意見を採用することにして、近くを通りがかった給仕係に会計を頼み、悪魔を一刀両断するような聖なる気持ちでカードを切った
化粧室から席に戻った彼女は、何となくではあるが少し雰囲気が変わったような印象があった
そしてわたしの目を真っすぐに見ながらこういった
ねぇ、ローザンヌにはどうしても行きたい?
彼女はやけにローザンヌに固執するなとは思いながらも、それは首を振って否定した
そもそもがわたしの旅はほとんど偶然の上に成立しているのだ
ローザンヌとはパリの管理人が教えてくれた”千亜希ちゃん方式”によって
導き出された地名に過ぎない
彼女はいった
もしもきみさえ良ければだけど、チューリッヒに滞在中は
わたしの家に泊まって拠点にすればいいよ。
実は昨日からそのつもりで考えてはいたのだけど。
酔いが覚め、ワインの後味も吹き飛んだ
わたしは口をあんぐりと開けて彼女を見つめた
事態が全く想像できない方向へと進み出そうとしている
そして彼女は割に言いにくそうにこういった
わたしは昨日も話した通りに十代の後半から海外に出てて、はっきりいって日本にはもう友達がほとんどいないし、それに、仮にいたとしても、わざわざわたしを訪ねてチューリッヒまで来てくれる友達は、きみ以外にいない。
それに実は、きみにはまだいくつか訊きたいことがあって・・・。
わたしはお尻の位置をずらして座り直し、それはどういうことなのだろうと逆に訊き返すと、彼女は意を決したようにこういった。少しワインに酔っているのかも知れない
たとえば、きみはさっきラッパーズ・ウィルの二階でわたしのことを静かにじっと見ていたでしょう?あのとききみが何を考えていたのかが知りたい。
この女性は危険だ、わたしは瞬間的にそう思った
自分の考えを、直線で相手に伝えることができるのだ
この女性は危険だ
危険すぎる
”だが、それの何が危険なのか、その肝心な部分がおれにはわからない”
やがて彼女の顔の輪郭が柔らかくなり、そして微笑みながらこういった
ラッパーズ・ウィルの一階の祭壇には、採光用の大きな三面鏡があったでしょう?二階にいたきみは、実はときどき角度によってはそこに丸写しだったことに、ぜんぜん気づいていないようだった。
三面鏡?
わたしは二時間前の記憶を手繰り寄せ、全てを洗ってみたがそこに巨大な鏡があったなどはまるで知らなかった
カメラで撮影して廻ったつもりが、実際は何もみていなかった
彼女はわたしからの返答を待っていたが、それがないと悟ると静かに笑ってこういった
だからわたしの家を拠点にすればいいよ。いろいろ話す時間も作れるしね。
それにこの国は外国人にはいささか物価が高すぎる。
稀に他の海外の友達が遊びにきても、みんなすぐに帰ってしまうしね。
わたしはまだ事態を飲み込めず茫然としていたがかろうじてこう口を開いた
そしてなぜこのようなことを口走ってしまったのかは
今になってもわからない
おれの滞在中に、きみのパンティが一枚でも無くなれば
その犯人はおれってことで即座に断定される。
「名探偵コナン」でなくとも、そのくらいはわかる。
彼女はこの日一番の弾けるような笑い声をあげ、ナプキンで素早く口を拭きパスタ・フォークでわたしを刺すふりをした
つづく
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2024年12月7日(土) 日本時間 AM 7:00
レイク・チューリッヒ | 05
アルトシュタットの迷宮