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工芸系作家も職人もちゃんとしないと

作家だからどうとか、職人だからどうとか、そういう事は関係なく、ちゃんとした仕事をするべきだよねー、という話題です。

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・・・以前、あるギャラリーさんで個展をしていただくにあたって、そのギャラリーに下見に行くと、流木や曲がった枝を使った椅子や棚などをつくる作家さんの展示会をしていました。

その作家さんとお話をすると、その人は本業はグラフィックデザイナーで、木の作品はアートとしてやっているとの事。

その木の作品を拝見すると、使われている金具やビスがホームセンターに売っている全く普通の銀色のもので、しかも気遣いなくそれで適当に色々な木をつないでいるだけなので、その金具が丸見えで折角の流木や自然のままの枝の良さを完全に壊しており、加えて加工精度も甘く、その大らかさは素人のお父さんの日曜大工と変わらないものでした。

それについてその作家の方は

「僕は、作品の技術的な所は“あえて無視”しているんだ。作品に技術を出してしまうと職人になっちゃう。僕は作家だからね。アートをやっているんだから」

と、おっしゃっていましたが、この仕事でそれを主張しても説得力が無いなあ、と個人的には感じました。高度な技術があるのに作品からは技術が観えず、かつ創作的にも美しいのならそれは最高レベルの技術ですが、残念ながら、その作家さんの作品はそのようなものとは程遠いものでした。

それに高度な基礎技術のある人は、どんなに技術が観えないように工夫してもその技術が染み出して、その技術が持つ特有の美しさが自然に作品に乗るものです。

人が何かを作り発表するのは自由ですから、その展示会自体に文句があるわけではないのですが・・・

その作家さんは「表現は、持っている技術の分しか出力されない」という当たり前の事を理解していないのだなあと思いました。

逆パターンもあります。

何かの分野のプロの職人さんが、自分の技術を活かして何かしら作品作りをし、作家を名乗る事は良くあります。

しかし、表現の方の学習や訓練をしているわけではありませんから、それは「いつもやっている作業に題名を付けただけのもの」になってしまうのです。

技術的にはプロのものですが、創作としては観るべきものが無い。そういうものには、独特の臭気があります。

そのような職人さんたちは、技術があれば創作も自動的に出来るようになっている、あるいはその業界に長年いるから、創作的な良し悪しも自分は分かっていると勘違いしてしまっているのですね。

どちらの人も

加工も創作も、どちらも技術。学習し、訓練しないと上手くならない

という当たり前の事を理解していないのです。


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