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丁稚システムを全否定は出来ない

職人の後継者育成については、丁稚的なやり方は師匠が丁稚の弟子を搾取するため、という言われ方をすることがあります。

確かに、弟子から搾取するようなシステムの工房も多いです。

が、現状の個人、あるいは小規模の工房では、給料を払わないとしても、仕事を全て教えようとするなら、そして弟子から授業料をとったりしないなら、弟子を受け入れる師匠は赤字になります。

弟子のほぼ全ての面倒をみて、弟子の失敗も全て請け負うわけですからね。

普段の仕事を忙しくしながら、さらに弟子の指導をし、さらに弟子の失敗を直し、弟子にかかる経費を払う。。。高額の手作り品での弟子の失敗は、大きなものでは一瞬で数十万飛びますからね。

なので、地方自治体から、助成金などをもらって弟子を入れているところも多いです。ちなみに、私のいる東京は、手仕事系の後継者育成系の助成はかなり少ないです。手仕事が観光事業とも組み合っている自治体では後継者育成の助成は盛んなようですね。

内弟子ということで弟子を受け入れながら、弟子の僅かな給料から授業料を取ったり、長年修行していても仕事の重要な部分は教えない、弟子の修行中の勉強や練習の経費は弟子の自腹だったり、師匠の人脈を一切使わせない、独立したら、師匠の取引先や顧客とは一切関わってはいけない(時に仕入先まで禁止されます)などという条件のところもあります。

「内弟子が絶対に師匠の上に行くことが出来ない・独立した弟子を師匠の格安の外注先として育てるシステム」

そういうところが多いです。

それでは、弟子は未来が観えないですから、辞めてしまいますよね。

「完全に、部分仕事の歯車としてスタッフを使う」

という工房もあります。

それは今も多いですね。

例えば「色挿し」なら5年やっても10年やっても、色挿しのみ。色を作ったりも出来ない。ただ作られた色を文様に挿すだけ。

しかも、着物の色挿しを一反やって、加工賃は3,000円。3日かかっても3,000円。

しかも、本当に部分の「作業」しかやらせてもらえないので、長年やってもスキルが全然身につかない。

友禅の仕事は、分業が多いので、その分業の一つの仕事全体を理解して技術も上がれば職人になれますが、その分業のなかの、さらに一部分の作業しかやらせてもらえない。しかも安い労働力として働かせられるだけ。

。。。そういう場合は、搾取と言われていても仕方がないですね。

そういう工房で長年やってしまって、気がついたら歳を取っていた。。どうしたら良いでしょう?なんてウチに相談に来る人もありました。

が、そのような工房で長年やっていると、歳をとってしまっているし、変な癖も付いてしまっているので、そういう人を受け入れる力はウチにはありませんのでお断りしました。

ウチは基本的にいわゆるバイトや会社のような賃金体制は取っていませんが、いわゆる丁稚的なシステムをモダンにしたような体制でやっています。それは、15年ぐらい弟子を入れてやってきて、最終的にそのやり方に落ち着きました。

勤め人やアルバイトのような態度ではなく、自分から工房の向こう側にある社会に出て仕事を得ていく、自ら人脈を得ていく、という能動性がない人間は、最初から制作する業界に入ってきて欲しくないという理由からです。

和装業界そのものが既に死に体なので、若い、世襲ではない、自己資金がない、能動性や才能がない、そういう普通の人を生活させるほど業界に元気がないのです。

創作家として作品を制作しながら生活する、という特殊なケースではなく「産業」としては、人口の殆どを占めるそのような「能動的ではない人たち」でも生産的に働ける環境が必要なのですが、多くのいわゆる伝統工芸系はもう「産業」と呼べるほどの経済規模が無く、能動的ではない人まで生活させるだけの力が無いのです。

ある意味、手仕事の工芸系創作の世界に「出家する」勢いのある人、そういう人しか残れないので、むしろ、中途半端にどうにか生活出来るお給料を払って「手仕事をしてみたい」という意識レベルの人の業界滞在期間を長くさせてしまう方が、最終的にはその人の人生が立ち行かなくなる可能性が高くなる、ということになるのです。

それを避ける意味合いもあり、資質があって、やる気のある人のみを選別するために、厳し目のふるいにかける必要があります。これはもちろん、工房によって必要とするものが違いますので、Aの工房では向いていないけども、Bの工房ではジャストマッチ、ということがあります。

いわゆる職人仕事を覚えるのには、時間がかかります。

それが、現代、職業とするのがむづかしい大きな理由です。

私がいろいろな職人仕事の下っ端をやっていた時代(30〜25年ぐらい前ですかね)の職人の世界の教え方は非効率的だし、教えるスキルそのものが無かったし、仕事を下に丁寧に教えるということそのものに否定的だったので下が育ちにくかった、というのはその通りです。

後継者がいない、ということについて決定的な理由は二つあり

「その業界にお金が流れて来ないこと」

「その業界の仕事に尊敬がないこと」

です。

ようするにそれは【時代に必要とされなくなった】ということです。

そんな環境のなかで、伝統系の職人は生き延びなければならないので、今までのやり方のままでは無理ですよね。

それと、職人仕事の教え方については、丁稚的なやり方を全否定することは出来ません。

例えば「観て覚えろ」ということについては、マニュアルや技術だけでは説明出来ない「加減」というものが職人仕事には沢山あり、それを身につけるには、巧い人の仕事の全体を把握し、流れを捉える必要があります。

それはあらゆるパターンがあり、簡単に身に付くものではありません。膨大な「体験」が必要なのです。

また、技術は、体が自動的に動くように、反射的に、かつ的確に動けるようになるまで、長期間、反復練習をする必要があります。

それは、一級のプロスポーツ選手のようなレベルを求められるので、そこで向かない人は、現場から去らなければなりません。(下っ端の部分仕事の作業員ならそこまで必要はありません)

それと「観て覚える」というのは社会人なら最低限に必要な、日常的に当たり前のことなのですね。先輩がやっていること、師匠がやっていることにいつも注意を向けておく、というのは別に職人ではなくても社会人として当たり前の態度です。

それすら出来ない人が多いのが事実で、それは別に最近の若い子だから、ということではなく、どの世代でもどの年代でも殆どの人はそうなのです。

それは、職人の世界でなくとも一般の会社でも困っている問題だと思います。

ともかく、一流の職人になるための「加減」や「技術」を体と頭の芯に叩き込むには「365日24時間そういう環境にずっぽりといること」が3〜5年必要なのです。大学で学んだから出来るとか分かる、というタイプのものではなく、もっとスポーツ選手の取り組みに近いものです。

そういうわけで「丁稚システムを全否定は出来ない」というのは事実です。

それを全否定してしまえば、昔の高度に行き届いた職人芸を失います。

しかし、新しい時代になれば、それとはまた違う高度なものが産まれるとも言えます。昔の価値観とは違う、新しい価値観において高度に行き届いたものが産まれるでしょう。

が、人間のやること、人間に可能なことは大昔から現代においても根本的にはそう変わりは無いので、丁稚っぽいところは形を変えて残る気がします。

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