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化学染料と天然染料のどちらも、ただの染料ですよ

このnoteで繰り返し書いている事ですが・・・

当工房は生業としては和装染色品の製造卸販売をメインにしておりますので色々な種類の染料や顔料を使って仕事をします。

染色加工には化学染料も天然染料も使いますが、いわゆる草木染に変なロマンを感じて使っているわけではありません。作りたい作品によって天然染料の方が相応しいとか、お客さまからのご要望だから使うとか、必要に応じて使い分けるだけであり、それ以上の意味はありません。色々な選択肢のある現代において「単に染料の一種」として使っています。

私は、染め屋として、天然染料に対して変な意味づけをするのは危険だと感じます。

いわゆる草木染にかかわらず色々な分野において、天然=安全ではありませんし、天然=無条件に良い結果を得られるという事は無い、これが動かしようの無い事実だからです。

環境の面で考えても、家庭で行う規模では環境負荷が低いものでも、それが産業規模になれば、現代の既に出来上がっているエネルギーロスが少なく環境負担も少ないシステムを使った方がずっと趣旨に合う結果が得られる事は多いものです。例えば、現状の電車のシステムを全て捨てて、蒸気機関車にしたらどうなるのかを考えれば分かる事です。ですから天然染料染が環境に優しいなんて事はありません。

しかし多くの人はこんな人を信奉したがります・・・

【我々は先祖代々伝わる古法により天然染料で染めている。先祖は染にふさわしい水が湧く所に仕事場を構えた。しかも染料にする植物を自ら育て、媒染も天然のものを使っている。私のところでやっている事だけが本物なのであり、私の天然染料染以外の染は全てニセモノである!人間は自然に対し謙虚であるべきで自然からの声に耳を傾けるべきである!・・・と、森羅万象の全てを理解する司祭かのように大上段から環境問題や文化について説教する】

・・・そんな人を。

そのような大先生たちへは「自然を前に謙虚にあるべきだ!」と大正義を掲げ自分以外の人は全て劣等であるかのような態度なので「いやいや、アンタの他人に対する態度は随分と傲慢だし、その理論は随分と杜撰じゃんね」とツッコミを入れざるを得ません…

また、その壮大な大正義と反比例する「酷くダサく技術もお粗末なお作品」も彼らの態度や論の矛盾を証明しているようにしか思えないですし、その先祖代々という歴史も眉唾だったりするのですが、その「大正義」を素晴らしいと思い込みたい人たちは意外に多いものです・・・それはまるで危ない新興宗教のような・・・個人的には、それはかなりの文化公害と思っております。伝統や、自然、怪しいスピリチュアル関係にはこのようなものが多いですね。

繰り返しになりますが「天然染料だから本物の染」という事はありません。人為と人工物に本物も偽物もありません。そこにあるのは「本当か嘘か」だけです。

そもそも化学染料で天然染料染とほぼ同じ色を染められないなんて事はなく、化学染料で天然染料染に似せた色と、天然染料で染めた色とを事前情報も比較も成分分析も無しで突然見せられて見分けられる人はいません・・・例えば、綿を化学染料で天然染料に近い色で染め、極微粒子の顔料を上から少しかけたら見かけで見分けられる人はまずいません。

天然染料しか無かった時代と、色々な選択肢のある現代では天然染料染の位置や意味が違います。

現代視点では、天然染料の色は、複雑な色味を持った独特の存在感を持つものとされ実用を超えた精神のための栄養として扱われているのです。

しかし、天然染料しか無かった時代には(意外に認識されていないのは、昔は全世界的に天然染料で染めていたという事です)現代好まれるような渋めの色や繊細な色目を出すためではなく「普通に染料として使っていた」わけです。ですから、当時は自然物からでは得にくい色・・・なるべくキレイで透明感のある、彩度の強い色を出そうとしています。

現代のように、天然染料にロマンなんて求めてないのです。単に色を染めるための手段です。当たり前の話ですよね。それしか無かったのですから。

ただ欲しい色を得るために染めた・・・だから昔の天然染料染(という考えそのものが無かったけども)の色は良いのです。

で、近代になり、化学染料が生まれ、それを我々は便利に使っているわけですが、簡単に原色系の色が染まるようになり、それが世間に溢れるようになると「ん?天然染料の色って複雑で奥行きがあって良いかも?」という価値観も出てきたわけです。天然染料で原色に近い色を出しても化学的な純色よりは、複雑な色味ですので。

また、化学染料の出現で細かい部分も自由に染め分けられるようになると、文様が持つ特徴や良さを無視したような「無計画な多色使い」をするようになりました。これは一時的にですが世界的にそういう流れになりました。しかし古来より染色・染織品の大産地だった地域では「一度は多色使いに流れたが、それでは文様が活きない、衣服としてのトータルコーディネートがしにくい事から化学染料を使っても適切な色数に抑えるようになった」地域が多いようです(私調べですが)

技法的に沢山の色を同時に使うのが難しい天然染料・天然顔料での染色/描画では、現代ほど自由な配色が出来ないため、自然に色が整理された文様染になります。結果として「文様が生きていた」のです。無計画な多色使いは文様の生き生きとした動きを分散させてしまいます。

しかし、日本の着物の世界では、文様の良さやトータルコーディネートを無視した多色使いを贅沢とか、作家ものだから創作的に多色使いしているなどとして、ひどいものが量産されているのです。そこは反省もなく現代もそのままです。

・・・どこかの誰かが作り出した「伝説」「ナイーブな物語」に翻弄される事なく伝統と過去の出来事を観察する必要があると私は考えます。

その文化の事実を観察し把握するだけで、伝統は現代人が未来へ向かうためのヒントを与えてくれるからです。


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