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思考整理note

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ユキガオの日々の思考を整理するために書き綴るnoteをまとめたマガジン。
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2019年5月の記事一覧

私が焦るのをやめた理由

やらなければいけないこと、というものがあると人は焦る。 もしくは人に「早くやって」と言われたり、直接言われなくても「早くやらなくては」とプレッシャーを感じていたら人は焦る。 私は特に、勝手にひとりで焦ってパニックになるきらいがある。 「あれもやらなきゃ、でもこれもやらなきゃ」 「いやいやこっちが先だ」 「待てよ、それよりあっちが優先だ」 そんなセリフたちが頭の中で大量発生し、大渋滞を起こす。 大渋滞を起こした結果、なにから手をつけていいかわからなくなり、フリーズして

ギャラリー巡りがワクワクする理由

今日は久しぶりに、ギャラリーを2ヶ所巡ってきた。 ひとつめは、漆芸の作品展。 漆芸をやっている先生から展示会の案内をいただいたのがキッカケで、先生に会いたいのもあったし、普段あまり縁のない漆の作品を見てみたいと思ったのもあって出かけることに。 ギャラリー内を見て回ると、「はたしてどこに漆が使われているんだろう?」と思うくらい、多種多様な作品が並んでいた。 漆と一言でいっても、さまざまな技法があるらしい。金継ぎといって、割れた器をつなぐ技法。一閑張りという、和紙を貼って

「語れるものを持つ」という生き方

自分には、「人に語れるものなどない」と思っていた。 ごく真面目な学生生活を送り、特に秀でた特技もなければ、これといって誇れるものもなかった。10代らしく学び、遊び、恋をし、普通に就職をした。 社会人になって、より一層語るものが減った。仕事は真面目にやっていたけれど、機密情報ばかりで、人に話せるのはせいぜい「何時まで残業した」とか「こんな先輩や上司がいる」といった当たり障りのないことばかりだった。 仮に仕事の内容を話すことができたとしても、与えられた仕事をこなしているにす

世話焼きで心配性な母が、長崎から京都まで飛んできてくれた話

「お母さん、今京都向かってるからね」 母からのLINEに気づいたのは、送られてきて30分ほど経った頃。私は高熱にうなされながら、病院で点滴を打ってもらっていた。 まさか、母がこちらに来るという決断をするなんて、想像もしていなかった。 でもそのLINEを見て、「あぁやっぱりお母さんだな」と心底安心したのを覚えている。 ========== 私の実家は九州の西の端、長崎県。新幹線も通っていないし、私が住んでいた街は“田舎”と呼んでも異論はないだろう。 街の一番大きな駅

「これくらいなら」を甘く見るな

これくらいなら、夜更かししても大丈夫。 これくらいなら、食べ過ぎても大丈夫。 これくらいなら、飲み過ぎても大丈夫。 これくらいなら、体に無理をさせても大丈夫… その瞬間には「これくらいなら」かもしれないけれど、それが何回も何年も積み重なっていけば、体を壊すのに十分なほどの威力になる。 それを痛感したのが、今回の入院だった。 ========== 部活をやっていた学生時代、よく過呼吸になって倒れていたことを思い出す。「自分の限界を超えなければならない」と常に思って

自分をコントロールできる人とは

もうすぐ入院して一週間になる。 この一週間は、本当になにもしていない。ただただ熱にうなされ、寝ていた。少し回復してからも、ひたすら病院のベッドで安静にしている。 こんなに長く入院したのは、中学生のころ肺炎にかかって以来だ。あのときもたしか、一週間近く入院していた。 こんなに長く仕事を離れ、ほぼ寝てばかりの生活をしていると、「仕事がしたくてウズウズしているんじゃない?」と思われるかもしれない。 ところが私は、すっかり怖くなってしまった。 ふたたび同じ生活を送り、また体

「しんどさ」に逃げないこと

「しんどい」状態に自分を追い込むことは、安心感を得る行為ではないだろうか。 だって「これだけしんどいのだから報われるだろう、なんとかなるだろう」と思えてしまうから。 そのしんどさの正当性なんか考えなくても、「しんどい」という事実だけが一人歩きしてしまう。 しんどくするのは実に簡単で、自分のスケジュールを大量のタスクで埋めてしまえばいい。次から次へと予定を詰め込めばいい。 なんだか仕事をしている気になる。働いている気になる。常に動き続けクタクタになるのだから、当然だ。

家族である、ということは

「病院にいるとどんなに病状が悪化しても安心だ」と思いながらスタートした入院生活も3日目になると、「早く帰りたい」が先行する。 2日ほど家で寝込んでいたものの、病院で処方された薬を飲んでも熱が下がるどころかさらに上がり続け、ひとりでこのまま苦しむのか…と悩んだ末に再び病院へ駆け込んだのだ。その結果、入院することになった。 点滴の針は3日前から同じところに刺さっていて、刺されているあたりの皮膚が少し赤くなってしまった。 熱が4日ぶりに、一時的にだけれども、36度台に戻った。

無理して頑張ることよりも、自分の体を一番大切にしようと思う

昨日のnoteで、「朝活のやり方を変えようと思っている」と書いた。 この1ヶ月、朝頑張って起きて朝活をやった結果、体感的には一日の時間が伸びて、仕事が捗った。「朝活っていいな」と心底思った。 だけど、体は正直で。1ヶ月に3回風邪をひき、熱を出した。 まだ熱が下がらない頭で思うのは、「無理して頑張ることより自分の体を大切にしよう」ということだ。 頑張ることしか自分にはできなかった陶芸を始めて3年。まだまだ技術的に足りないことは多いなと感じるし、注文をいただいている分の制

朝陶芸について考えていること

4月11日から、「#ユキガオ朝陶芸」というものを始めた。今日でちょうど一ヶ月が経ったことになる。 これは、朝7時から陶芸の作業を行い、その様子をインスタグラムのライブ配信するというもの。ただただ自分のためにやっている配信で、見ている人のためになっているのかは微妙だ。 途中で体調を崩したり、結婚式を挙げるために東京へ行っていたりして、できなかった日もあるけれど、京都の家にいる日はほぼ毎日やってきた。 その朝陶芸のやり方をちょっと変えようと思っている。 朝陶芸を始めてから

何をもって「プロ」と呼ぶのか?

陶芸を生業にしたくて、会社を辞めたのが2016年。 それまで会社員として働くことしか知らなかった私だけれど、フリーランスとして仕事をする上で「何をもってプロと呼ぶのか」という議論をよく耳にするようになった。 でもよくよく思い返せば、「何がプロの条件なのか」という話は、会社にいた頃も頻繁に聞いていた。 そして、会社ではそれが明確に定義されていた。 会社員としてのプロ論はっきりとは覚えていないが、確か会社では「一人で業務遂行でき、改善提案や指導までできる人」のことを、その

雑談に必要なのは、相手への興味と自己管理能力

昨日、こんな記事を書いた。 この中で、誰かとの何気ない会話が心を安定させるという話をしている。 オフィスへ出社して会社の人たちと何気ない会話を交わし、与えられた仕事をこなし、疲れて帰って眠る。そんなかつての日常は、社会との繋がりを保つという役割を担っていたんだと今さら気づく。 いわゆる「雑談」だ。 今日久しぶりに夫以外の人に会って話す機会があったので、嬉々として雑談を繰り広げていたんだけれど「よくよく考えたら私はこの雑談というものが苦手だったな」と気づいた。 なぜな

好きなことを仕事にしているのに

私は、注文を受けて器を作っている。 つまり「仕事」として陶芸をしている、ということだ。 陶芸に出会ったとき「こんなに面白いことがあるのか…!」と感銘を受け、それ以来すっかり虜になってしまった私だったけれど、ついに仕事にすることができるようになった。 「好きを仕事に」とよく言われる昨今、まさにその状態だと自分でも思う。 さらに言えば、年初に自宅で制作できるよう設備を整えたので、「在宅で好きなことをして仕事している」状態である。 だけど、なんだか変なのだ。 心がざわざわ

陶芸にはマインドフルネスの効果がある、という仮説

薄々感じてはいたんだけれどハッキリしていなかったことが、ちょっとクリアになった気がする…という話をしようと思う。 それは「陶芸にはマインドフルネスの効果があるのではないか」ということだ。 マインドフルネスとは「この瞬間に集中すること」マインドフルネスという言葉はここ数年聞いているけれど、実践したこともなければあまり意識したこともなかった。瞑想をしているという友人の話を聞いたことがあるくらいだった。 厳密には、瞑想とマインドフルネスは違うらしい。瞑想について調べてみたとこ