好きなことを仕事にしているのに
私は、注文を受けて器を作っている。
つまり「仕事」として陶芸をしている、ということだ。
陶芸に出会ったとき「こんなに面白いことがあるのか…!」と感銘を受け、それ以来すっかり虜になってしまった私だったけれど、ついに仕事にすることができるようになった。
「好きを仕事に」とよく言われる昨今、まさにその状態だと自分でも思う。
さらに言えば、年初に自宅で制作できるよう設備を整えたので、「在宅で好きなことをして仕事している」状態である。
だけど、なんだか変なのだ。
心がざわざわする。
平日の昼間に外を出歩く罪悪感
フリーランスになってから曜日感覚がなくなり、平日休日問わず仕事をするようになったし、最近ではそのほとんどが家で完結できてしまう。
そうなると、平日の昼間にふらっとスーパーへ買い物にも行ける。美容院だってお出かけだって、特に曜日で決めているわけではない。どちらかといえば平日のほうが空いているから…という理由で休日には出歩かないようにしているくらいだ。
平日の昼間のスーパーは面白いくらいに、客層が固定されている。定年を迎え仕事をしていない(であろう)老夫婦、専業主婦(らしき女性)、大学生…
もちろんこれは私の憶測なので、実際には同じようなフリーランスの人たちかもしれない。だけど、平日の昼間に買い物ができる人は、それほどに限られているのだ。
その中に混ざって買い物をしていると、「私は何者なんだ…?」と不安になる。
かつてサラリーマンだった頃は、絶対に出歩けない時間帯。平日の昼間。
働いているはずの時間に、のうのうとスーパーで食材を選んでいる自分が、まるで悪いことをしているかのように感じてしまうのだ。
なにも悪いことなんてしていないのに。
社会との繋がりは精神安定剤
家で仕事ができると、必要最低限しか外出しなくなる。
同じフリーランスの夫は、東京と京都の二拠点生活をしているので、夫が東京にいるときはなおさら引きこもりがちな私。
誰とも会わない日なんてザラにある。会話をする相手もいない。
すると、だんだん孤独感が募るのだ。
オフィスへ出社して会社の人たちと何気ない会話を交わし、与えられた仕事をこなし、疲れて帰って眠る。そんなかつての日常は、社会との繋がりを保つという役割を担っていたんだと今さら気づく。
「自分が社会の一部である」と感じられることは、精神衛生を健やかに保つために必要なんだな、と。
フリーランスこそ、生活にバランスを
好きなことを仕事にしていても、社会との繋がりがなかったら不安になる。自分はここに存在していていいのか、と。
存在意義なんて自分で決めればいいんだけれど、孤独であることがたぶんよくない。
だから一人で仕事をしてしまえるフリーランスこそ、仕事の時間だけでなく、社会と繋がる時間を意図的に取る必要があるんだろう。
そうしないと、罪悪感や不安に押しつぶされてしまうから。
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