「これくらいなら」を甘く見るな
これくらいなら、夜更かししても大丈夫。
これくらいなら、食べ過ぎても大丈夫。
これくらいなら、飲み過ぎても大丈夫。
これくらいなら、体に無理をさせても大丈夫…
その瞬間には「これくらいなら」かもしれないけれど、それが何回も何年も積み重なっていけば、体を壊すのに十分なほどの威力になる。
それを痛感したのが、今回の入院だった。
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部活をやっていた学生時代、よく過呼吸になって倒れていたことを思い出す。「自分の限界を超えなければならない」と常に思っていた。そのためには自分の体をギリギリまで追い込むことが必要だ、と。
会社員の頃、よくわからない理由で怒鳴られるたびに「なんで私が」って悔しくて泣きそうになるのを、グッとこらえては隙をみてトイレに駆け込み嗚咽を漏らしていた。ここは我慢するところだ、と。
昔から、ちょっと無理をするのが当たり前になっていた。我慢することで何かを得られると思っている節があった。
そのせいか、本当は強くもないのに、誰かに弱音を吐くのも苦手になっていたし、多少体がしんどくても「これをやらねば」という責任感のほうが勝ってしまっていた。
熱があっても仕事をする。
体がきつくても外出をする。
悔しくてもグッと我慢する。
積み重ねていた。
知らず知らずのうちに、「これくらいなら」の無理を。
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高熱が続くと、じわじわ体力を削られていくし、頭が朦朧としてほとんど何も考えることができなくなる。
普段通りの生活をすることはおろか、水分を摂ることも忘れるし、自分がどれくらい寝ているのかもだんだんわからなくなっていく。
一体いつになったら、何度汗をかいたら、この熱は下がってくれるのか…
病院にいたところで、絶望的な気持ちになる。このまま退院できないんじゃないだろうか、と。
結果的には回復し、熱も下がったわけだけれど、もう一度同じ状態になるのはまっぴらごめんだと思った。
だけどこれは、自分が積み重ねた「これくらいなら」が原因だ。
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「無理するなって言われても、そんなの無理だよ」
と笑って流していた。これまでは。だって、自分で意識的に無理をしているわけじゃないから、そもそもセーブするとかしないという話じゃないのだ。体と脳が勝手に判断していること。
だけど今回の体調不良と入院を経て思ったのは、自分で自分の「無理」を止められるかどうかが大切だということだ。
無理しようとする自分を、意識的にセーブすること。
これは、なかなか難易度が高い。自分の習慣や癖を洗い出し、その中から「これくらい」と思ってやってしまっていることを直していかなければいけないから。
でも、「これくらいなら」を甘く見ていたら、いつか必ず大きな痛手を負うことになる。
それを経験したからこそ、これからは「これくらいなら」と思わず、少し自分を甘やかすくらいの気持ちで過ごさなければならないんだろう。
加減が難しいんだけれど、微調整を繰り返しながらちょうどいい塩梅を見つけたいなと思う。
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