雑談に必要なのは、相手への興味と自己管理能力
昨日、こんな記事を書いた。
この中で、誰かとの何気ない会話が心を安定させるという話をしている。
オフィスへ出社して会社の人たちと何気ない会話を交わし、与えられた仕事をこなし、疲れて帰って眠る。そんなかつての日常は、社会との繋がりを保つという役割を担っていたんだと今さら気づく。
いわゆる「雑談」だ。
今日久しぶりに夫以外の人に会って話す機会があったので、嬉々として雑談を繰り広げていたんだけれど「よくよく考えたら私はこの雑談というものが苦手だったな」と気づいた。
なぜなら雑談には、相手への興味と自己管理能力が必要だからである。
雑談のコツは相手に興味を持つこと
雑談とは、書いて字の如く、いろいろな話題について話をすることだ。テーマもなければゴールもない。
自分の好きな話をしてもいいし、オチのない話をしてもいい。話をする相手さえいれば、成り立つ会話である。
一見簡単に思えるこの雑談だけれど、私はとても苦手なのだ。雑談ができないわけじゃない。正確に言えば、雑談を続けることができないのだ。
テーマもゴールもない話をするのは、案外難しい。もし自分に「早く誰かに話したくて仕方ない!」という話題があれば別で、基本的にそんな話は持ち合わせていないことのほうが多い。
だから相手の話を聞くことになる。ただこれも、相手が何か話を持ち合わせていなければ、お互いがその場で共通の話題を見つけて話をするしかない。
そこでポイントになるのが、「相手に興味を持つこと」だ。
この人は最近どんなことをしているのか、前会ったときに話していた○○はどうなったのか、休日はどうだったか、今日はどんな気分なのか…といった興味を持てば、話は無限に広がる。
相手も自分に興味を持ってもらえれば、悪い気分にはならないだろう。(ただし詮索するような聞き方はしないこと)
自己管理ができていれば安心して雑談できる
雑談で、なにか有益な情報を得られることは少ない。
主に話し相手の近況や自分の近況を話すにとどまり、ときには愚痴や弱音を聞くことにもなるから、あまり気持ちよくない終わり方をする可能性もある。
そう考えると、「雑談をしている時間がもったいない」という発想にいたる。これでは、「雑談によって他者との繋がりを確認し安心する」というそもそもの目的を見失ってしまう。
だから自己管理能力が必要なのだ。
時間はたしかに有限だけれど、使い方は本人に任せられている。自分が仕事や用事を効率よく済ませることができたなら、あとの時間は意味のないことに使ってもいいわけだ。
自分をしっかり管理して時間の使い方をコントロールできるようになれば、雑談している時間を「もったいない、この時間に他のことをしたい」と考えることはなくなると思うのだ。
現に私は今日、やるべきことを終わらせていたから安心して雑談することができていた。もしまだやることが残っている状況だったなら、早々に話を切り上げてその場を去っただろう。
雑談で社会と繋がり心の平穏を保つ
誰かと雑談をする必要なんてない、と考える人もいると思う。
だけど私のように、人と話す機会が極端に少ない人間にとっては、雑談は「自分と他者ひいては社会との繋がり」を感じられる貴重な機会なのだ。
その機会を有効に使って心を平穏に保つためにも、他者へ興味を持つことと自分の時間をコントロールできる管理能力が大事だなと思う。
「たかが雑談で大げさな…」と感じられたかもしれない。でも、雑談のような一見無意味に思えるものに、人間らしさが潜んでいるような気がするのだ。
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