「語れるものを持つ」という生き方
自分には、「人に語れるものなどない」と思っていた。
ごく真面目な学生生活を送り、特に秀でた特技もなければ、これといって誇れるものもなかった。10代らしく学び、遊び、恋をし、普通に就職をした。
社会人になって、より一層語るものが減った。仕事は真面目にやっていたけれど、機密情報ばかりで、人に話せるのはせいぜい「何時まで残業した」とか「こんな先輩や上司がいる」といった当たり障りのないことばかりだった。
仮に仕事の内容を話すことができたとしても、与えられた仕事をこなしているにすぎず、誰かと共有したいほどの情熱もなければ、「自分がこれをやったんだ」と自慢できるような仕事もなかった。
自分でなければならない仕事、などなかった。
会社の歯車のひとつであることは認識していた。
自分らしさ、が何なのかわからなかった。
私、という存在は薄ぼんやりとしていた。
自分の名前が世に出ることなんて、ありえないと思っていた。
でも、自分の名前で仕事ができたら最高にハッピーだろうな、とも思っていた。
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夫婦でインタビュー取材を受けた記事が、今日公開された。
個々にインタビューを受けたことはあっても、夫婦で揃ってインタビューというのは初めて。
もともと知人が夫婦で受けたインタビュー記事を読んで、「私たちもインタビューしてもらえたらいい記念になるんじゃないか」と思い、つないでもらって実現したものだ。
インタビュー自体は4月上旬に受けた。とりとめなく話した内容を綺麗にまとめてもらっていて、非常に読みやすい記事になっている。
ぜひ一度読んでもらえたら、と思う。
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会社を辞め、陶芸を始めた。陶芸を生業にしたい、と思ったのだ。
それと同時にブログを書き始め、Twitterで自分の思いや活動を発信するようになった。
気付けば私のことをフォローしてくれる人が増え、私の名前を知ってくれる人が増え、ときには「ファンです」と声をかけてくれる人が現れるようになった。
私自身は、まだ何かを成したわけではない。
何かを成せるかどうかもわからない。
でも、自分の名前を出して仕事をするようになって、私は語るものを手に入れた。
正しくは、「語りたいと思えることができた」そして「語ってもいい(隠さなくてもいい)仕事をするようになった」のだ。
個人で仕事をするということは、そういうものなのかもしれない。
でも私は嬉しかった。「人に語れるものなどない」人生を送るんだと思っていたから。
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個人で仕事をする、というのは不安と苦悩の連続だ。
自分の商品は売れないかもしれない。
売れてもごくわずかかもしれない。
いつ仕事がなくなるかわからない。
新商品を思いつかなかったらどうしよう。
収入がなくなったらどうしよう。
貯蓄が底をついたらどうしよう。
働けなくなったらどうしよう。
常に不安を背負い、どうしたらいいか悩み苦しんでいる。
それは、フリーランスとして先輩である夫も同じようで。悩んでいる姿を目にしては、「上手くいっているように見える人でも悩みは尽きないのだな」と思わされる。
会社員の頃の私は、降ってくる仕事をソツなくこなすことだけに尽力していた。仕事は無限にあるように思えた。収入は勝手に口座に振り込まれ、残高が増えるのは当たり前だった。
「あの頃に戻ったら楽になるんだろうか」
そう思う日もある。
でも、想いを持って自分の名前で仕事をすることは、私が目指していた姿なのだ。そういう働き方をしたいと思っていたし、そんな仕事と出会えたらいいなと思っていたのだ。
難しさはある。
つらいこともある。
でも、胸を張って言える。
「私は自分の仕事に誇りを持っているし、自分の名前で戦いたいのだ」と。
「語れるものを持つ」という生き方を貫きたいのだ、と。
上手くいかないことが続いてちょっと気持ちが滅入っていたのだけれど、今回のインタビュー記事を見て、再び気合いが入った。
自分の語れるものを持ち、そしてそれをアップデートしていけるような生き方を、これからもしていこうと思う。
ユキガオ
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