どんなときだってきっと必ず救われる。
ときどきうまく自分の気持ちを表現できなくて、文章を書くことの難しさを痛感します。
新聞記者時代に「お手々で書くな」とよく言われてました。言葉を集めて面白おかしく適当に紡いで文章にするな。
そういう意味だと当時、理解して今もその言葉を忘れないように書いています。
日々、面白いことが起こるわけでもなく、自分の目の前で起こること、周りで起こることと向き合っていて、それに必死すぎていちにちが終わると無事にいちにちを生き抜いたことだけでホッとしてしまいます。
なので、そこで無理に何か書かなくても。
なのかもしれません。日々生きてるだけでサバイバル感200%だったりするし。
だからこそ書かずにはいられない。
と思ってます。
仕事のこと、自分の立場。もう余力で生きられる50歳。誰も何も言わないいい大人だからこそ、いいところも悪いところも書くことで向き合うのだ。自分と格闘!がんばれ、わたし。
そうそう。
昨日は、note仲間でもあるあいざわともこさんとたくさんおしゃべりしました。
彼女とのおしゃべりは、疲れて軽くへこんでいたわたしに、神さまがくれたギフトのような時間でした。
ほめほめノートを書くことに日々、絶賛悶絶中のわたしにたくさんのヒントをくれたともこさん。おかげできょうは
「わたしのからだが食べたかったごはんを選んであげた」
「一人の時間を作ってあげられた」
とか、ほめほめノートにいっぱい書けました。
ともこさんとお話して、ふと思った。
神さまはちゃんと困ったときには助けてくれるんだな、と。だってともこさんをわたしにおくりこんでくれた感じがしたから。
むむ?気のせいか?
それにしても昨日の夜はいっぱいお話できて最高に楽しかった!
苦しくたって悲しくたって。
どんなときだって、きっと必ず救われるのだなあ。
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