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【読書記録#88】 この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

<2023年8月11日にインスタに投稿したものをシェアしています>

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
門田隆将 著

中国国民党と毛沢東率いる共産党との「国共内戦」。金門島まで追い込まれた蒋介石を助けるべく、海を渡った日本人、陸軍中将根本博の奇跡を辿ったノンフィクション。

保守系言論人としても有名なノンフィクション作家でジャーナリストの門田隆将氏が今年の3月ごろ、元衆議院議員の長尾たかし氏、政治ジャーナリストの山口敬之氏、政治学者のロバート・D・エルドリッヂ氏らと共に金門島を訪れていたのを彼のSNS投稿で知り、金門島でどんなことが起きていたかについて興味を持ったのがきっかけで本書を読んだ。

戦後、満州では武装解除命令に応じた多くの日本人がシベリアへ抑留され、命を落とした。一方、終戦時に内蒙古に駐屯していた駐蒙軍司令官であった根本は、終戦後もなお進攻を続けるソビエト軍と抗戦し、在留邦人4万人を無事に日本へ帰還させた。

それは軍隊の勤めというのは、自分の国の領土と国民を守ること、そして、外地では日本人の生命・財産を守ることが軍隊の務め。
根本は軍人としてするべきことをしたまでだという考えだったそうだが、根本のような軍人が満州にもいたら、もっと多くの日本人が救えただろう。

この時、戦勝国となった中華民国の初代総統、蒋介石が日本への帰国を承諾し、速やかな戦後処理に当たらせてくれたことに根本は終生恩義と感じていた。

終戦の翌年、内蒙古在留邦人の全員帰還を見届けてから復員するが、その頃、中国大陸では国民党共産党が権力闘争を繰り広げていた。
当初は、蒋介石が優位に立っていたものの、共産党軍はソ連の支援を受け、形勢は逆転。共産党は中国全土を配下に置き、蒋介石は追いつめられていた。

昭和24年(1949年)8月、蒋介石に対して恩義を感じていた根本は当時はアメリカの占領下にあった日本で海外へ行くことは一切禁じられていたため、58歳根本は家族に「釣りに行く」と言って出掛ける形で中華民国の統治下にあった台湾へ決死の覚悟で渡り、密航して台湾へ渡る。

そして、金門島における古寧頭戦役に参加。彼の献策が中共政府の中国人民解放軍の撃破に貢献し、中共政府は台湾奪取による統一を断念せざるを得なくなった。
こうして、台湾を共産化から救った。

3年後に無事帰国。釣り竿を持って飛行機のタラップを降りてくる根本に粋な明治生まれの日本人を感じた。

しかし、台湾の国防部には根本の存在の記録が一切残っていないという。根本は一部の上層部にしか知られていない極秘の存在であったのが主な理由だそうだ。

蔣介石は感謝の品として、イギリス王室と日本の皇室に贈ったものと同じ花瓶を根本に渡している。また、本来一対であるべき花瓶の片方は今日も中正紀念堂に展示されている。(2枚目の写真)

この偉大な功績の影には、日本が台湾を統治していた時代の総督明石元二郎の息子、明石元長氏と通訳の吉村是ニの二人の存在があった。

明石は、戦後台湾の若者を支援することをしていたのもあり、台湾の共産化を止めたいという思いから手引きをし、根本と通訳の吉村是二氏を無事に宮崎から出航させる。
そして、彼らを見届けた4日後、過労のため42歳という若さで急死した。

根本の台湾を共産化から救ったという功績はもちろんのこと、当時、アメリカの占領下にあった日本で、日本人が外国へ行くことは一切許されなかった時代に、蒋介石への恩返しをしたいという思いがあった根本と、親子二代に渡って台湾の発展に尽力した明石、そして16歳で上海へ行き、中国人家庭の中で生活をしていた、中国通の吉村の絶妙なチームワークで密航が無事に成功したことに深く感動した。

こんな偉大な日本人がいたことを日本人として心から誇りに思う。

歴史教科書に紹介されるべき偉人の一人。

多くの方々に読んでほしい一冊。

日本と台湾の友情と絆が益々深まりますように。🇯🇵 ❤️ 🇹🇼



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