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理想を巡る闘争

小学生の頃影響を受けた物語に、「大草原の小さな家」がある。
西部開拓時代のアメリカを舞台に、困難を乗り越えながら家を建てるところから生活を創り上げていく一家の物語だ。
9冊にわたるこの物語は、小学校中学年くらいの頃におおはまりし、人生に影響を与える物語になったと思う。
物語は次女ローラの視点で描かれるものの、私はここに出てくる長女のメアリイが大好きだった。
ただの好きではなく、こうなりたい・近づきたいと強く思うような、尊敬や憧れにも近い、好き。
理想の人物は最早、メアリイになっていた。

メアリイは、とにかくいい子だった。
賢くしっかり者で、かつ大人しく控え目。
絵にかいたようないい子の彼女に、とにかく憧れた。
物語が進んでいくと、メアリイ自身が後に「本当はいい子でなんかいたくないのに」というシーンも出てくるのだけど、私は「いい子のメアリイ」にひたすら魅了されていた。

これがきっかけで、私はいい子になろうとしていた。
それが理想だったから。
現代の描く強くしなやかなプリンセスより、少し前の時代の従順で受け身なプリンセスの方が憧れだった。
理想の枠線に自分を収めるために、苛立ちや怒りを自分に向けて、自分を叩いたり自分を責めたりすることで、外の世界のなにもかもを受け入れようと必死だった。
その結果、ある意味理想のような自分になった私は、その息苦しさに音を上げ続けるばかりだった。

理想の姿のいいところばかりでフレームをつくって、そこに自分を押し込めようとして。
それでは上手くいかないことって、きっと山ほどあるのだと思う。
それがたとえ「いい子」でなかったとしても。
例えば「いつも笑顔の人」の明るく笑顔な部分だけ切り取って理想の姿と据え置いたとしたら、悲しい時も笑顔でいられることが必要だと思い込んでしまうかもしれない。
だけどそれが必要だと思ってやろうとしたとしても、それは無理をしてつくっていることだから、枠に収めようとして無理をしている自分がいつか悲鳴を上げる。
無理をすることはどこかで自分を苦しめる。

「こうなりたい」があるのは素敵だけど、そればかりじゃ自分を痛めつけてしまう。
現実の自分が感じることや違和感は、大切にした方が却っていいことだってある。
その理想に置いている誰かだって、辛い時にいつもそれをできていたわけではないだろうし、できていたとしてもそれに苦しんでいたのかもしれないから。

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みみ
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