研究職を辞める未来(#はたらくということ・仕事編)
おはようございます。
とい、です。
もう募集も審査も終わってしまったけれど、「はたらくってなんだろう」について考える、私の頭の中はモヤモヤしたままです。
突然ですが、あなたは「研究職」と聞いて、
どんなイメージを持ちますか?
イメージ募集
客観的な意見が欲しいのです。
どうぞコメント欄に自由にご記入下さい。
(とはいえ、私も研究職(企業)のたまごなのでお手柔らかにお願い致します。)
※研究職と一口に言ってもジャンルは幅広い上に、所属(国立研究所なのか、大学なのか、企業なのか等)によって働き方は違うでしょう。
研究って一体なんだろう。
料理のレシピの配合を少しずつ変えて味を見るのも、フラスコや試験管を振って何か新しいものを作り出すのも、また研究です。
地道に少しずつ、これをあーして、こーして、と繰り返す、泥臭い作業の分野だと私は思っています。
けれども、費用の限られた中で研究していくためには、出来るだけ自分でいろんな試験器具を装備したり、修理したりするマルチなスキルも必要となります。
研究において大事なものは?
意外にも、研究において大事なのは『成功結果』ではありません。
研究で求められるのは、①論理的な思考に基づいた適当な計画、②試験の再現性、③試験結果をどう受け止めるか、の3点に集約されると思います。
「失敗は成功のもと」という言葉があるように、①で想定した結果が違うとき、②や③とどれだけ向き合えるかが勝負です。
実る程、頭を垂れる稲穂かな。
3月末に先輩社員が退職されました。
コロナ禍後に体調を崩された為、ほとんど一緒に仕事をすることはありませんでしたが、定年まで勤め上げ功績も残してきた大先輩でした。
日頃口数は少ないですが、若手を気遣ってくれる優しい大先輩でした。その方の勤務最終日、私はwebシステムで参加し、我々に向けた最後の挨拶を聞きました。
その挨拶の中に、
「私は何も残せませんでしたが、」という言葉がありました。
私は画面をオフにし、ミュートにしていました。
(そんな筈ない)と裏で大変泣きました。
その人の地道な試験の積み重ねや報告書、論文の数々によってこれまで沢山学ばせてもらってきたからです。
挨拶を聞き終わった時、その気持ちを、
どうしても直接伝えたくなりました。
慌てて電話で伝えることが出来ました(泣いてることはバレバレ)。
しかし伝え終わった私のなかには、
(私はまだ『本当に』何も残せていないだろう)
(後に続く人たちが縋るようにして読むような書類を、今まで書こうとしたことがあっただろうか)
(私はどこまで働けるだろうか)
という思いが渦巻きました。
私が研究職を辞めるとき。
それが何年後になるのかは分かりません。
しかし、必ずその時は訪れます。
急に訪れる可能性だってあります。
私はその時、何を言うのでしょう。
「その時」後悔しない為の働き方を身に付けたいと思った、4月です。
朝から読んでいただきありがとうございました。
とい。