楽なあぐらは伸ばすよ背筋
事務所で先輩があぐらをかいていた。しかしそこは事務所の椅子の上である。あの狭い座面にコンパクトに収まっている光景がちょっと面白いと思った。それと同時にふと疑問が浮かんだ。あぐらは楽だし、あぐらをかくことは何かいい効果があるのだろうか?
調べていくうちにあぐらの歴史や座禅までたどり着いてしまったのだが、残念ながらあぐらという座り方自体は体にはあまり良くないようだ。
あぐらは江戸時代前まで正式な座り方だった
中国から伝来した時のあぐらの持つ意味合いはこう記されているが、アラビア人の足の裏を見せないマナーと、それを実現したあぐらという座り方がかなり昔に編み出されたことは非常に興味深い。
漢字では「胡座」とか「安座」と書きます。「胡」とは古代中国の異民族のことで、とくにシルクロードで通商を行っていたソグド人などの西方民族をさしています。足の裏を見せることが失礼になるというアラビア人にとって、あぐらは「足の裏を見せない」正式な座り方。中国ではそれをめずらしがって「胡座」と呼んだのでしょう。
そして明治時代に礼儀作法として正座が定着するまでは、むしろあぐらで座るほうが一般的だったという。畳で千利休があぐらをかいて茶をたてていたとは何とも不思議な光景である。
正座が近代まで採用されなかった背景
どうしてそこまで近代になるまであぐらだったのか?
こちらで紹介されている2つの理由を考えると、特に庶民は正座ができなかったと考えられる。おうちに畳の部屋がないことも増えてきた現代、我々の生活の視点では気づけなかった事実だ。
畳は膝にも優しいんだなと思い、また別の機会で記事にすることにしたい。
一つは、「畳」が誰でも使用できるようになったこと。それまで畳は贅沢品とされ、時として厚みや材質、縁の色や柄で身分を表現するのに使われていた。
もう一つは、「脚気」の解明である。「江戸患い」と呼ばれるほど当時の人々に大流行したこの病気は、足の末梢神経障害を引き起こす。そのため、江戸時代の人々にとって正座は、まさに拷問に等しい姿勢であったのだ。
歴史あるあぐらのデメリット
それだけ長い間あぐらが普及していたのだから、何かいいことがあるのでは?と思っていたが、次に言われているように特に腰にかかる負担が大きくデメリットが多いようだ。
日本人にとってあぐらはくつろげる座り方ですが、通常、両膝は床から浮いていて、左右のお尻と両足が交差する部分の3点だけで上半身を支えています。そのために安定感はもうひとつ。背中を丸めた前かがみの姿勢になりやすく、座っているうちに姿勢が崩れがちです。腰に負担がかかるデメリットもあり、長い時間座り続けることが難しいとも言われています。
実際にあぐらをかいて体がどうなってるか意識してみたが、背中がかなり曲がる。背中を曲げたほうが楽に感じてしまうのだ。背中が曲がればカメ首にもなるし、これを長時間していたらかなり危険な気がしてきた…
座禅での座り方を試して気づいたあぐらのポイント
ここでたどり着いた座禅での座り方は、よく見るとあぐらではない。名称としては結跏趺坐(けっかふざ)と半跏趺坐(はんかふざ)のようだ。こちらは完全に足の裏を見せる姿勢となっていて、あぐらよりも難易度が高い。
※痛みを我慢して無理に趺坐をしないようにしてください
あぐらの姿勢から、片方の足を持ち上げて、反対の足のふとももの上に乗せる座り方が半跏趺坐です。
さらにもう一方の足を持ち上げて、反対側のふとももの上に乗せると結跏趺坐になります。
座禅は長時間安定して座ることが必要だからになるから、この趺坐が今でも採用されているのだろう。
私も早速試してみたが、体が硬いのか脚が太いのか、0.75趺坐(れいてんななごふざ)くらいの中途半端な趺坐になってしまった。しかし、膝も地面につけるととても安定し、前かがみよりもむしろ背中を伸ばして座るのが楽であった。
あぐらでも背中を伸ばせなくはないが、力を入れて背筋を伸ばしているような感じになり割と疲れる。膝周りを地面につけて安定させられる趺坐だからこそ、背中が自然に伸びるのかもしれない。
あぐらも趺坐も、背中を伸ばして座ることで、腰や首への負担を減らした座り方にできそうではあると感じた。
まとめますと
1、あぐらは江戸時代ごろまでは一般的な座り方だった
2、畳の普及と脚気の解明によるまでは、あぐらで座ることが自然だった
3、あぐらは背中が丸まり首が前に出て腰を痛めてしまいがち
4、座禅での趺坐は膝周りが地面につき、背中が自然と伸びて安定して座れる
5、あぐらも趺坐も、背筋を伸ばして座ることで体への負担を軽減できそうだ
にしても、朝日を背にオフィスチェアで座禅のような座り方をしてたら、もはや神々しさが増して椅子から浮いてどこかへ行ってしまうかも…
なんて妄想をしながら、あぐらで座っている間は腰や背中・首が変に曲がっていないか意識しないとな、と思った次第である。