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令和源氏物語 宇治の恋華 第四十八話

 第四十八話 恋車(十)
 
一陣の風が吹き抜けて庭先の竹がさやさやと揺れるのを薫は無心で見つめておりました。
母である女三の宮にはそうして佇む息子の気持ちがわかりません。
それもそのはず、幼い頃から亡き柏木の大納言の面差しを宿した薫を宮は畏れて、遠ざけてきたからです。
己が罪を目の前に突き付けられたようで、薫の存在から目を背けました。
母親として接したことなどついぞ一度もなく出家してしまったもので、ただ産み落としたということ以外には親らしいことなど何もしてはいないのです。
 
亡き夫・源氏は柏木の子と知ってもどうしてこの子を愛することができたのであろうか?
 
女三の宮には穢れなき赤子を無条件で愛した源氏の懐の深い愛情を今も理解することはできません。
そのように自身も愛されたのを知ることもない、稚拙な御方なれば、形ばかりは仏弟子となっても愛の何たるかを悟ることはないのです。
 
ここは六条院の冬の御殿。
女三の宮はかつて住まった邸にまた戻ってくるとは思いもよらなかったことで、主人の変わった六条院に時代の流れを感じておりました。
「まさかここにまた住むことになるとは思いませんでした」
ぽつりと呟く母に薫は何と答えてよいのか言葉に詰まります。
源氏との思い出も多かろう、そして亡き父・柏木との思い出もあろうこの六条院に移られてどのような心持ちかと複雑な気分なのです。
女三の宮が父・朱雀院から贈られた三条邸は先日火事で焼け落ちてしまいました。幸い母を始め仕える者たちはみな無事でしたので、一時的にこちらに身を寄せることとなったのです。
「秋には三条邸に戻れましょう」
「そうですね」
変わらずに茫洋として胡乱な目をする母に薫は失望を禁じ得ません。
女人というものは鷹揚に構えていられる方が嗜み深く感じられて好もしいものですが、母宮はそれとは違うように思われるのです。
この人がかつて夫を裏切るほどの激情に身を委ねたとはとても考えられません。
愛することも愛されることも知らない人であろう。
大君に対する愛を自覚した今の薫は母に憐憫の情を催さずにはいられませんが、愛を受けたという記憶が乏しい為にどうやって人を愛すればよいのかがわからないのです。
薫は大君の意志を尊重して無理なことはするまいと決めております。
そうすればいつしか心を通わせて仲良く語らう日も来るであろう、と耐え忍んでいるのでした。

次のお話はこちら・・・


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