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紫がたり 令和源氏物語 第九十九話 須磨(六)

 須磨(六)

どの御方も別れるには名残が多すぎて、やはり出家された藤壺の入道の宮ほど源氏の心を掻き乱す御方はいらっしゃらないのです。
二十五日の陽の入りと共に源氏は藤壺の入道に暇乞いをするために三条邸へと赴きました。
邸は益々人が少なく、以前は華やかに飾られていた宮の御座所も御仏に仕える者が弁えるように簡素で実用的なもので、その御簾の奥にまだうら若い宮がおられると思うとやはり源氏の君は涙を溢さずにはいられません。
出家をされた御身ゆえに、この日は御心安く宮の御声を直にお聞きすることができました。
「思わぬ罪を蒙りまして都を離れることになるとは。ただひとつ心当たりがあるとすれば、それは恐ろしく、この身にだけを責め、咎を一身に引き受けることができると信じます。それで春宮の御世が栄えるのであればなんら悔いはありません」
源氏は一切の罪をその身で負うことができるのならば悔いはないという。
共に同じ罪を背負った宮にはそれとおわかりになるので、心は同じとしても、次の御言葉を継ぐことがおできになりません。
「私はこれから亡き父院の御陵墓に別れの挨拶に伺おうと思います。入道の宮におかれましては、ご伝言でもあれば承ります」
而して涙で喉を詰まらせた宮は何もおっしゃることができません。
気をしっかりと保ち、まっすぐと源氏の君を見据えられると詠まれました。

 見しはなくあるは悲しき世のはてを
       背きしかひもなくなくぞふる
(なんという悲しき憂き目をみるのでしょうか。亡き院を失い、あなたは遠くに流されるなんて。心穏やかになるために御仏の弟子となった私ですが、どうにも泣いてばかりで過ごすことになりそうです)

 別れしに悲しきことはつきにしを
     またぞのこの世の憂さはまされる
(父院とお別れした時にすべての悲嘆を知ったとばかりに感じておりましたが、春宮という世のほだしとも別れなければならないとは、嘆きの淵に底は無いのだと思い知りました)

源氏は宮にそう歌を残して、父である桐壺院が眠られている北山の御陵地に赴きました。
それはもちろん表立って行動はできませんので、月が昇るのを待ってからの人目を忍んだものです。
びゅうびゅうと唸る風が物悲しく、刺すような夜気が染み入るようで、体が凍えるばかりに冷え切ってゆきます。
それでも源氏は両手をついて墓前の石に額づきました。

父上の御遺言はすでに無きものとなってしまいました。
私は明日都を離れます。
これも私の自らを省みない驕ったところから出た身の錆びでございます。
どうか私の罪をお赦し下さい。

 亡き影やいかが見るらむよそへつつ
      ながむる月も雲がくれぬる
(亡き院の御霊は私が流されていくことをどのように思召されるでしょうか。面影になぞらえた月も答えをあたえずに隠れてしまいました)

雲が千切れ、千切れに流れてゆく。
月の面が顔を出さぬ闇夜はなんと心細いことか。
いつまでも涙を流しながら額づく主人の敬虔な御姿を目の当りにした従者達は、ただただ涙を流して君を見守っておりました。

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