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紫がたり 令和源氏物語 第三百四十一話 若菜・下(七)

 若菜・下(七)
 
紫の上の申し出は源氏を打ちのめしました。
拗ねているようでもなく、自暴自棄な風でもなく、ただ静かに淡々とした様子に愕然としたのです。
源氏はいつから紫の上がそのように考えていたのか、思いは一緒と考えてきたものを、といつの間にかすれ違っていた心の在り処に戦慄しました。
捨てられるのが自分であるという現実に、それが紫の上の意志であるということに慄いているのです。
 
あの人がもう私を愛してはいないなどと、そのような素振りは微塵も感じられなかった。
いつから私を捨てることを考えていたのだろう?
女三の宮の降嫁があの人を傷つけたのだろうか。
しかし女三の宮とは睦まじく、世間に波風も立てず実によく振る舞っていたものを、内心ではやはり誇りを踏みにじられたように感じていたのか?
 
別れを切り出された男性というものはそれまでそんな素振りもなかったものが、どうしてを急に、と思われるでしょうが、女性というものは言葉に出さぬだけで冷静に心を固めるもの。
そして一度決意してしまえばその心は変わることはないのです。
 
ともあれ俗世にはまだ楽しみがあるということを知ってもらわぬことには、あの人は私に黙って髪を下しかねない、そうした焦りが源氏を苛立たせます。
 
どうにかして出家を思い留まらせなければ。。。
どこか遊山のようにして外へ連れ出そうか。
それにしてはこの准太上天皇という身分は重すぎてなんと窮屈なことか。
願解きという名目で出掛ければ紫の上も連れ出しやすくなる。
これは明石の女御の為でもあるし、いっそ女御を同道すれば紫の上も現世のほだしを再認識して思い留まるであろう。
 
そう源氏は考えましたが、あの紫の上が熟慮を重ねて出した結論を付け焼刃のような浅知恵でどうにかできると考えているところが滑稽に思われてなりません。
ご自分の行いを顧みもせずに上辺のことばかりを取り繕うところに嫌気がさしているということにもお気づきになれない。源氏の君は栄華を極めた人ではありますが、紫の上という女人を理解するには未だ足りないことが多いようです。
否、生涯をかけてさえその心を知ることはできないでしょう。
それは数多の女人を踏みつけても許されるという身分なればこそ、瑣末なことを気に懸けては国を司るという大役も担えなかったでしょう。
この高貴なる人の苦悩はそこに起因しているのかもしれません。
そして愚かな夢を見て女三の宮を娶ってしまったことがこれから後も君を苦しめることになるのです。
まさに因果応報とは御仏が説いた御言葉ですが、人は実際にそうした目に遭わなければその言葉の真を理解できぬのでしょう。

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