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紫がたり 令和源氏物語 第百七十四話 薄雲(二)

 薄雲(二)

雪が少し溶けた頃、源氏はふたたび大井の山荘を訪れました。
春の足音がすぐそこにやって来ている気配が心を浮き立たせる時節ですが、明石の上は暗く沈んでおります。
いつもならば嬉しい源氏の来訪も今日ばかりは疎ましく感じられます。
源氏は小さい姫を引き取りに訪れたのでした。
明石の上は涙を浮かべて乳母(めのと)との別れを惜しみました。
「とうとうこの日が来たのね。あなたまでいなくなってしまったら、この邸はさらにさみしくなってしまうわね。長い間共に暮らしたようにすっかり馴染んでいたのに・・・」
「わたくしも思わぬ縁で御方さまにお仕えできたのは心からの喜びでした。もうこれきりと会えないことはないと信じておりますが、悲しくて仕方がありません」
この二人には姫を通じて肉親の情のような絆が芽生えておりましたが、乳母は姫に付き添って二条邸に移るのです。
まるで昔からの親友のように、手を握り合って流れる涙を止めることのできない二人は歌を詠みあいました。

明石:雪ふかみ深山の道ははれずとも
       なほふみ通へ跡たえずして
(雪が深いこの山の道は晴れることがありませんが、あなたからの手紙を携える使者が足跡を残して絶えぬことを励みと致しましょう)

乳母:雪間なき吉野の山をたづねても
        心のかよふあと絶えめや
(雪の晴れない吉野の山を尋ねることになっても、心を通わせる消息を運ぶ使者の踏み跡が絶えることがありましょうか。けしてありません)


「おかぁさま。はやく、はやく」
何も知らない無邪気な姫は車に乗ることができるとはしゃいでおります。
「お母さまは後から参りますから、乳母と一緒にお乗りなさい」
明石の上は姫を不安にさせないようにいつものように優しく微笑み、姫を源氏に引き渡しました。
源氏はこの人が涙を堪えているところを小さい姫には見せたくないと、乳母に姫を託し、明石の上を抱きしめました。

明石:末遠き二葉の松にひき別れ
     いつか木高きかげを見るべき
(まだ幼い先の遠い姫と今日別れなければなりませんが、いつになれば成人した立派な姫の姿を見ることができるでしょうか)

心の叫びが滲んだ歌に明石の上は一筋の涙を流しました。
ああ、無理もなかろう、とその玉のような涙をすくった源氏は返しました。

源氏:生ひそめし根も深ければ武隈の
       松に小松の千代をならべん
(この姫君は私とあなたとの深い宿縁の元に生まれた者なのだから、二本並ぶ武隈の松のように、あなたと私とで姫の先の長い将来を見守ってゆきましょう)

 わたくしの愛しいちい姫、どうか幸せに。
 健やかに立派に成長されますように。
 紫の上さま、くれぐれも姫をよろしくお願いいたします。

ゆっくりと邸を離れていく車を、端近なのも気にせずに尼君と見送りながら、明石の上は姫の幸せだけを祈って己を支えているのでした。
小さな姫を膝に抱き、車に揺られながら、源氏は明石の上を不憫に思っておりました。
母親にとって子供を取り上げられることほど辛いことはないでしょう。
この罪は深く、どう償っても許されるものではないと心が重くなります。
せめて姫の将来を明るく希望のあるものにすることでその罪が少しでもそそがれればよいのだが、と深い溜息をつきました。

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