紫がたり 令和源氏物語 第三百九話 若菜・上(三)
若菜・上(三)
夕霧が辞去してから女房たちはその立派な様子を褒めそやしました。
「さすが当代一と言われる貴公子ですわね。美しいだけでなく気品もあって、そうかといって驕ったところなど微塵もありませんわ」
「ほんにあのような素敵な殿御とお近づきになりたいものですわね」
若い女房たちは夕霧の噂でうっとりしておりますが、源氏を知っている老い女房たちも負けじと胸を張ります。
「お父上の源氏の君は、それはもう立派でございましたよ。“光る君”と呼ばれたほどですもの。夕霧の中納言はたしかに父君に瓜二つですが、源氏の君は只人ではない神々しさがございました」
朱雀院も大きく頷かれる。
「うむ、源氏には例えようもない光輝のようなものが備わっている。今でも若々しく、却って若い頃よりも立派であるのが稀有なことだね。それでいてあの人は人懐こくてあの笑顔を見ると誰もかれも愛さずにはいられないのだよ。政治家、執政官としても優れていた。しかしながら夕霧はまだ十八歳にして中納言、これから声望も益々高まろう。晴れがましい一門だね」
院は大きな溜息をついて傍らの女三の宮を見つめました。
女三の宮は源氏や夕霧とは面識がありませんので、どんな方々かと関心も無く、ただ無邪気におわしになります。
「この宮を可愛がり、大切にしてくださり、また年若い点を補うように教育して下さる方があれば嫁がせたいものだが」
院のお顔にはまた苦悩の色が滲んでおられます。
夕霧の様子を改めて目の当たりにした院には、女三の宮の相手はもう夕霧しかいないと思えてなりません。
女三の宮の乳母には朱雀院の御心裡が痛いほどに察せられます。
「夕霧の中納言がやはり当代一と言われるだけあって、あの方をおいては目ぼしい方もおられないしょう。中納言はたいそう純情で長い間太政大臣の姫を想い続けて他に心を移さなかった方ですので、念願かなった今となっては尚更承諾されないと思われますわ。それよりもむしろお父上の源氏の君の方が適任ではございませんでしょうか」
この乳母の言葉はそれと考えていた院の御心を大きく揺さぶりました。
「源氏は式部卿宮の姫(紫の上)を幼い頃から教育して立派な女人に育て上げたという実績もあることだし、引き受けてくれればうれしいのだが、どうであろうか?」
乳母の兄に左中弁という人がおりますが、妹の縁から朱雀院にお仕えし、源氏の元へも伺候する御仁でしたので、六条院の内情などにも通じているのです。
乳母はその兄から聞いた話をそのまま朱雀院へと伝えました。
「兄の話によりますと、源氏の君は葵の上さまを亡くされてから正夫人はおいでになりません。北の方と言われている紫の上さまがことに寵愛厚いようですが、いつともなしに妻になったようなお立場ですので、君はかねてから身分高い正夫人を望まれておられるようでございますよ。例の朝顔の姫宮への求婚は院もご存知でいらっしゃいますでしょう」
「おお、それは耳寄りな話ではないか。女三の宮ならば身分上申し分ない。それに降嫁するのであれば准太上天皇の源氏ほど相応しい相手もおるまいよ。それとなく源氏の意向を探るよう左中弁に告げよ」
「かしこまりました」
女三の宮はやはりご自身の結婚について父君と乳母が話されているのをまるで他人事のように何の色も表しません。噂に聞く方々がどのような人たちかという好奇心さえ持ち合わせていないようです。
父親というものは娘を溺愛するものですが、院の女三の宮に対する愛情はことさらに度を越しておられ、姫が大切にされればそれでよいとしかお考えになれません。
源氏がこのお話を受ければ、世では正妻と見做されている紫の上を大変傷つけることになるでしょう。
じっと聞くともなしに側に控える女三の宮は注がれる愛情だけを享受してきた頼りない姫宮らしく、世のことなぞどうとでも、父に従えば間違いはない、と自ら思考することを放棄しておられるようです。
そのようなものが純粋な美しさとするならば、なるほどこれほどに美しい姫はいらっしゃらないということになりましょう。
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