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紫がたり 令和源氏物語 第三百十六話 若菜・上(十)

 若菜・上(十)
 
女三の宮が六条院に輿入れされるのは如月の十日ということでしたので、源氏の四十の御賀が終わると、宮の御住まいになる棟は美しく磨き上げられ、飾りたてられました。
源氏は准太上天皇とはいえ姫宮は入内というわけではありません。
しかしながら常の婚姻とも違うので、儀式はあくまで源氏が臣下として宮をお迎えするという形式を取られました。
六条院には朱雀院から上等な調度が数多く運び込まれて、日が暮れる頃には女三の宮の行列は六条院に着きました。
上達部が総出で着飾ってお供に加わったので、それは美々しくも派手やかな道行きでありました。
正殿で姫宮を待つ源氏は新しい直衣に高雅な薫衣香を焚き染めて胸が高鳴るのを抑えながら、じっと控えておりました。脳裏に浮かぶのはその昔はにかむように輝く笑顔を見せた十四歳の藤壺の宮の御姿であったでしょう。
豪奢な牛車が停まると源氏は車寄せに出て姫宮を抱き下ろしてさしあげました。
内親王を降嫁された臣下はそうして姫宮を車から抱き下ろしまいらせるのが世の習わしなのです。
扇で顔を隠した姫宮はたいそう小柄で芳しい薫りがほんのりと漂うのが、さすが朱雀院秘蔵の御皇女であると高貴に思われる源氏の君です。
常の婚姻とは違うといいましても、三夜宮の元へ通って婚姻となすというところは同じですので、その三日間は朱雀院から祝いの品や手紙が届き、源氏もそれへ応えるように贈り物をさしあげるなど儀式は華やかなに執り行われるのです。
 
 
饗応で賑わうそちらの様子が漏れ聞こえる度に紫の上の心は暗く悲しみに塞がれていくようでした。
「姫さま、大丈夫ですか?」
いつでも紫の上に忠実な少将の君は何とか主人を元気づけてあげたいとお側に控えております。
「少将、わたくしは平気よ」
そう無理に繕う上の心裡は幼い頃から馴染んできた少将の君には痛いほど察せられます。
「人の気も知らないでドンチャン騒ぎとは、あちらはいい気なものですわね。ムカつきますわ」
少将の君はかつてのお転婆女童・犬君です。相変わらず言葉には容赦がありません。
「少将ったら・・・」
そうして笑む紫の上はやはりどこか寂しそうです。
「姫さま、無理をなさらずに泣いてよろしいのですよ。溜め込むのは逆に体に悪いということですわ。そうそう、ムカつくことは壺に吐き出して埋めてしまうとよいのだそうで・・・。お持ちしましょうか?」
「それは壺が気の毒だわ」
「お姫さまは本当にお人よしなのですから」
「いい加減になさいませよ。少将の君」
「だって少納言さま、大殿の仕打ちには我慢がなりませんわ」
「そうね、辛いことになりました。でも、上が見捨てられるようなことにはけしてならないでしょう」
少納言の乳母は自分の手で育て上げたこの素晴らしい姫君がどんな尊い皇女にも負けるはずがないと心から信じております。
「あなたたち二人が心からわたくしを思ってくれているから辛くはないわ」
「この少納言、どのような状況になってもお側を離れることはけして致しません」
「わたくしだって同じ気持ちですわ」
「二人とも、ありがとう。今日は早めに休むとしましょうね」
長い間源氏の北の方のように世間では見做されてきた上ですが、正式な婚姻の儀をもって妻になったわけではありません。拐かされるように連れてこられ、親の承諾も祝福もなく源氏の妻とされたのです。
この時代の女性というのは男性の所有物であり、己の意志で運命をどうにかできるものではありませんでした。
紫の上のような聡明な女性こそ女人のそうした悲しい宿命を冷静に見つめていたことでしょう。それでも生来善良で温和な人柄であるので、胸の裡の苦悩をおくびにも出そうとはしません。否、彼女の本当の心を知ったところで源氏にそれが理解できるかどうか・・・。
それほどに女人の心ざまというのは深いのです。

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