紫がたり 令和源氏物語 第四百二十話 夕霧(二十三)
夕霧(二十三)
夕霧が一条邸に押しかけて婿らしく振る舞っているという噂はすぐに雲居雁の耳にも届きました。
もうこれですべてがおしまいなのね。
夕霧はもうここへは戻ってこないのだわ、そうして失意のうちに彼女は三条邸を去ったのです。
このことも夕霧は考えが浅いと自分を責めるであろう。
しかし心を変えたのはあちらであるのに何故に責められねばならぬのか。雲居雁にはもうそうした仕打ちに絶えられる強さはありませんでした。
心無い者と暮らすよりはいっそ別れてしまったほうがよい、とそう思われてなりません。
大臣家ではやはり父の致仕太政大臣が雲居雁の行動を浅はかと窘めましたが、
「わたくしはこれ以上は耐えられませんでした。もはや私の知っている夕霧ではないのです」
そうして泣く愛娘をどうして諌められましょうか。
大臣の憤りは自然女二の宮へ向かうわけで、これは宮には何ともお気の毒としかいいようがありません。
雲居雁は静かな実家に戻ってきて、少女の頃ここで夕霧を待ちわびた過去の自分を思い出しておりました。
あの頃はただ純粋に信じられたものを、わたくしももうあの頃とは違うのだわ、そう考えるだけでも悲しくなります。
それにしても長く連れ添った時間が悔やまれるのは夕霧が恨めしいからでしょうか。
夕霧しか自分の世界になかった雲居雁にとってその存在を失ったことは大きな痛手ではありましたが、このままでは前にも進めまい。苦しみ疲れた雲居雁はすべてを捨ててしまいたいとさえ願いました。それにしては少女であったままのこの時の止まったような部屋はあまりにも惨めで、女房たちに古くなった調度などをすべて処分させました。
古い几帳を新しい上等なものに変え、蒔絵の美しく施した調度を取り寄せて、最後に高雅な香を焚き染めさせたのです。
それだけでもうみすぼらしく夕霧を待ちわびた少女の部屋ではなくなり、何やらさっぱりとした気分になるのでした。
考えてみると夕霧と結婚してからは次々と子供が生まれて育児に追われるばかりの日々で、こうして羽を伸ばすことも久しくなかった雲居雁です。
姉の弘徽殿女御が宿下がりをされているというので気晴らしがてら姉妹同士仲良く語らおうとそちらへ渡りました。
己が誇らしく、意気揚々と三条邸へ戻った夕霧は雲居雁がいないことに驚きました。また拗ねているのであろうと寝所を覗いてもどこにもいないのです。
子供たちはといいますと、三人の若君がしょんぼりとしておりました。
「お母さまはどうしたのだね?」
「お祖父さまの家に行ってしまわれました」
さても浅薄なことよ、と夕霧が舌打ちしたのはまさに雲居雁の想定内と言えましょうか。
このまま放っておけばそのうち頭を冷やして帰ってくるかとも考えましたが、致仕太政大臣にも女二の宮とのことは知られているであろうからと夕霧自ら迎えに行くことにしました。
あの大臣も臍曲がりなところがあるので後々厄介なことになりかねないと憂鬱になるのです。
それにしてもどうしてこうも煩わせるのか、夕霧は車に揺られている間中いらいらと怒りを募らせておりますが、自分が雲居雁に捨てられたとは考えが及ばぬようです。
雲居雁を考え浅い女と侮っているので、ただの悋気であろうとたかをくくっているのでした。
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