紫がたり 令和源氏物語 第三百六十八話 若菜・下(三十四)
若菜・下(三十四)
源氏は柏木のなかなかの胆力に感心しておりました。
切羽詰ったその時に人の度量が試されるものですが、意志の力で己を奮い立たせるとは、柏木はやはり逸材といわれるほどの優れた若者です。
いずれ大臣となり国の中枢を担うような若者にはこれほどの豪胆さも必須なのです。
それにしてもこの宮にほど不釣り合いな立派な若者であるよ、と源氏は冷たい目で傍らの几帳を眺めると、宮には言葉もかけずに紫の上が見物している場所へと去ってしまいました。
ただ一人残された宮の心裡は如何なものであったでしょう。
その冷たい仕打ちに宮は声を殺して涙を流されました。
側に控える小侍従はこの時初めて己の仕出かした事の顛末を重く受け止め、宮がお気の毒で共に涙を流さずにはいられないのでした。
源氏は紫の上が脇息にもたれ掛って寛いでいるのを眺めると先ほどの意地悪をした嫌な気持ちなどが晴れてゆくように思われます。
「紫の上、無理をしてはならないが、舞楽を楽しむのだよ。子供たちが一生懸命稽古を積んでいたから、あとで労いの声をかけてやっておくれ」
「はい、楽しみですわ」
「あちらにあなたの父君・式部卿宮さまと髭黒殿がおられるので、私はそちらで見学するが、お父上になにか伝えたいことはないかね?」
「ええ、わたくしのことをずいぶん心配してくだすったので、もう大丈夫です、とそれだけを」
「わかった。少納言、少将の君、紫の上を頼むよ」
両脇に控える乳母と側近の女房は恭しく低頭するも、上への寵愛が益々深まるのを嬉しく思うのでした。
柏木は夏の花散里の姫の御殿で子供たちの装束などを確認していた夕霧と合流しました。
「柏木が来てくれるとはなんとも頼もしい。実は父上に披露するのは些か重圧であってなぁ」
柏木はそんな夕霧のいつもと変わらぬ人懐こい笑顔にほっと安らぎを覚えました。
「私の及ぶ限りお手伝いさせてもらうよ、式次第はどこだ?」
柏木は本来有能な若者ですので、これと決めれば如何なくその力を発揮できるのです。そして楽に関する感性も磨かれており、その催しにそぐった趣向などもよく心得ているのでした。
「御賀での装束はどうするのだ?今日は正式ではないから気安い感じだが」
「そうそう、赤い白橡(しろつるばみ)の袍に葡萄染め(えびぞめ)の下襲を合わせようと思うのだよ。楽人は白襲がよいかと考えているのだ」
「うん、それは艶やかでよいな。ではこの最初の仙遊歌(せんゆうか)の入りだが、この六条院の作りを活かした登場にしては如何か」
「なるほど、この南の築山から登場させるというのはどうだろう?」
などと助言され、その全てが格段に見栄えのするものとなりました。
柏木は久々に楽しく、気分も晴れ晴れとしております。
これこそまさに殿上人たる人たちの場であり、一時は宮の為に捨ててもよいと思ったものですが、自分の才覚を発揮して人を喜ばせるというのは己の存在価値を認められたように嬉しく、やはりこうした所が本来の自分の居場所であると改めて感じられるのです。
柏木は源氏に詫びるつもりで懸命に務めればいつかは赦されるのではなかろうか、そうなれば以前のように戻れるかと仄かな期待を抱くのでした。
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