令和源氏物語 宇治の恋華 第五話
第五話 花合わせ(一)
夕霧が大臣に上り、天下一の権勢を誇るとはいっても、夕霧だけで朝廷が動いてゆくわけではありません。
政権を担う一角として按察使大納言という方がおられます。
この御仁はかつて左大弁と呼ばれた柏木のすぐ下の弟、もしや柏木が存命であったならば間違いなくその地位にあった筈です。
大納言は柏木亡き後、兄の穴を埋めるように忠勤に励み、お主上や周りの信頼を得て、現在の地位に上り詰めた努力の人です。そうかといって陽気で前向きな人好きのする御仁は夕霧に卑下することなく立派に勤めてこられました。有能で、それはやはり致仕太政大臣のお血筋ゆえでありましょうか。
こうして眺めてみますと、やはり時の流れというものを感じずにはいられません。
源氏が栄華を誇ったかつてとは立場がまったく逆転してしまった女人たちもおられます。
それは玉鬘君と真木柱の君。
この二人は実に不思議な縁によって結ばれておりました。
源氏の養女として六条院に住まわされていた玉鬘は当時求婚者の多くある注目の姫君でした。数多いる求婚者を押しのけてもっとも結婚相手に近いとされていたのは源氏の弟である螢兵部卿宮と髭黒右大将でしたが、姫は源氏の意志で冷泉帝の元へ入内するはずでした。そんな玉鬘の運命は髭黒殿によって大きく曲げられてしまいます。
玉鬘の望んだ婚姻ではありませんでしたが、周囲には嵐が吹き荒れて、髭黒殿は長く連れ添った北の方と離縁するまでにも至りました。その折に髭黒殿の愛娘である真木柱の姫が祖父・式部卿宮の元へ引き取られたのは痛恨の極みであったでしょう。
そんな真木柱の姫も成人を迎え、なんと婿として収まったのがかつて玉鬘姫に求婚して得られなかったあの螢兵部卿宮であったのです。しかしその結婚は不幸以外の何物でもなく、二人の仲は冷え切り、離婚してしまったように自然に縁が離れてしまったのです。
そうして真木柱の姫君は埋もれるように人の噂に上ることはなくなりました。
ひき比べて玉鬘姫は左大臣にまで上った頼もしい夫に愛されて、権門の夫人らしく華々しくときめいておりました。
玉鬘君の母はあの夕顔の君ということで源氏の養女、真の父は源氏の親友であった致仕太政大臣です。
本当の処の源氏の一門というわけではありませんが、源氏はこの君に多大な財産を贈与しました。
源氏が世を捨ててすぐに頼りの夫は病で身罷りましたが、譲られた財産のおかげで経済的に困窮することはありませんでした。しかし左大臣であった髭黒の存在は大きく、後ろ盾を失った今では嫁ぎ先の定まらぬ娘の身の振りで頭を悩ませているのでした。
髭黒殿は生前姫の入内を強く望んでおり、今上帝も入内を望まれております。しかし明石の中宮という揺るがぬ存在にかなうはずもありません。春宮においても夕霧の娘・大君の権勢が強く、頼りないこちらの身では娘が苦労するのではなかろうかと思案しております。
そのような矢先に冷泉院から姫ご所望の打診がありました。
冷泉院と玉鬘君はかつて仄かな慕情に結ばれた二人です。
髭黒によって曲げられた縁をなつかしんだ院は、玉鬘の君へ手を差し伸べるかのごとく、そして玉鬘の娘を娶ることで再びの縁を結ぼうと忍んだものか。
それにしても運命とはどこまでも皮肉を孕み、残酷なのものでしょうか。
玉鬘の君の邸隣は今権勢のある按察使大納言の御殿です。
その北の方として世に尊ばれているのが、かつて真木柱の姫と呼ばれた髭黒の姫・玉鬘の義理の娘ということになるのです。
あちらは始終多くの人が訪れて、華やかで賑々しい様子です。
隣から漏れ聞こえる明るい笑い声や晴れやかな雰囲気がこちらに伝わるほどに、玉鬘の君には辛く、零落れた惨めな思いばかりが込み上げてくるのでした。
真木柱の姫の現在までの道程はといいますと、螢兵部卿宮亡きあとに一人娘を連れて按察使大納言と再婚しました。
按察使大納言には死別した前の北の方との間に二人の姫がありましたが、この御仁は実に鷹揚な方で、分け隔てなく真木柱の娘を受け入れました。姫達も父親同様に大らかな気性で、宮の姫と呼ばれる義理の妹とまことの三姉妹のように親しく睦まじく過ごしているもので、真木柱の君も母親らしくきめ細やかに娘たちを世話しております。
暗い少女時代が彼女をたくましく生まれ変わらせたのでしょう。
人を憎むばかりの祖父母を醜いと嫌い、せめて人の為に尽くせる母親になろうとした努力が実を結び、継子たちに慕われる今の大きな地位を手に入れたのです。
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