紫がたり 令和源氏物語 第三百三十二話 若菜・上(二十六)
若菜・上(二十六)
源氏は女三の宮の待遇を別格として鄭重にお世話しておりましたが、宮が最愛の女君であるかというとそうではないもので、通うにも間が空いてしまったりするのは仕方のないことでしょう。
昼間に訪れたりして気を遣っているので責められるようなことは何もないのですが、宮にお仕えする女房たちは快く思わず悪口ばかり言って憂さを晴らしているようなのです。
宮ご自身は元々あまり物事を考えられない性質なので、源氏の訪れがなくても何ら気にもなさらないものを、若い浅薄な女房たちはここぞとばかりに源氏や紫の上のことを悪しくあげつらうのです。
まったく噂好きの世の人達にこうしたことばかりが漏れるのは、妬みなどの感情が人の裡にある限り、無くなることはないのでしょう。
源氏はどうにも宮への愛情が薄く、益々紫の上への寵愛は深まるようだと世間では噂されています。
夕霧はそんな噂を耳にしても世間もまた勝手なことを、と気にも留めませんが、自分が最初に婿候補とされていたことを考えると女三の宮がどんな女人であるのか気になるところです。
源氏に用事がある時などはわざわざそちらの方へ足を向けたりして御殿の様子を窺ったり、男心とは不思議なもので、今はようやく実らせた恋妻の雲居雁がいるというのにこちらの宮のことも心に懸かるのです。
しかしながら夕霧は数回そちらに足を運んだだけで落胆してしまいました。
もちろん女三の宮の御姿などは拝めるものではありませんが、御殿の雰囲気とはその女主人そのものを表しているものです。
母と慕う花散里の夏の御殿はしっとりと心休まる風情で、仕える女房たちもみな上品です。
明石の上の冬の御殿は高雅な趣味で、女房たちもみな控えめで思慮深い感じが印象的でした。
ところが女三の宮の御殿では子供っぽい人達がきゃあきゃあと嬌声をあげていることがままあり、いったいどんな遊びをしているのかと品格を疑ってしまいます。
女三の宮はたしかにまだ十五歳とお若くていらっしゃるがこれはなかろう、と夕霧は耳を塞いだのでした。
なるほどこれでは父・源氏が愛情を注ぐのは難しいに違いない、と近頃は自然とそう感じて、宮に対する以前のような憧れはまったく無くなりました。
やはり長年あの父と連れ添いながら、これといった世の噂に上るようなこともなく、北の方らしく邸を切り盛りしてこられた紫の上さまは別格であるよ、そうしみじみと思われて、あのいつかの野分の折に垣間見た麗しい御姿が恋しく脳裏に浮かぶ夕霧の君なのでした。
さて、夕霧のような真面目な青年でさえ女三の宮には心揺らぐほどでしたので、かねてより想いを懸けていた太政大臣の子息・柏木衛門督が女三の宮不遇の噂を聞いて黙っていられるはずがありません。
柏木には宮へ通じる大事な手蔓があったのです。
宮の元へ仕える小侍従という女房は宮の乳姉妹でもっともお側近くにお仕えする者でしたが、この母の乳母と柏木の乳母は姉妹なのでした。
柏木の宮への想いはいまだ燃えさかる業火のごとく、日々募っていくばかりです。
柏木は小侍従を頻繁に呼び出しては恋文の取次を頼んでおりました。
「小侍従よ、源氏の院が宮さまを冷遇されているという噂は本当か?なんとお可哀そうなことではないか。私にご降嫁されればこのような辛い目には遭わせなかったものを。私の身分が低いからといって愛のない結婚をされるよりはましであったろうに」
「柏木の君、なんて失礼なことをおっしゃるのです。宮さまがご不幸かどうか、あなたごときが判断されるものではありませんわ」
小侍従の言葉に口を噤む柏木でしたが、源氏も年齢的にはそう先は長くないであろうから、出家して遁世するようなことがあれば宮を自分の所に迎えよう、などと大胆なことを考え、虎視眈々と隙を窺い、小侍従に付きまとっているのでした。
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